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望月城(1) ~ 木曽義仲に呼応

 みなさんこんにちわ。
 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成28年11月5日、お城仲間のМさんと望月城に行って参りました。

 8年ぶりの訪問です。

 前回は、あまりお城の見方がわかっておらず、あっさりとしたレポートを残しましたが、今回はしっかり見て回りましたので、詳しいレポートとなります。

a望月城アク

 長野県佐久市望月にあります。

 老人ホーム望月悠玄荘を目指すとわかりやすいです。

IMG_1901.jpg

 駐車場があります。

*望月城は、望月氏の城です。

 望月氏は、滋野氏の支流で、海野氏、祢津氏とともに、滋野三家に数えられます。

IMG_1900.jpg

 駐車場は、往時「駒つなぎ場」と呼ばれていたようです。

 城への来訪者が下馬し、馬を繋いでおく場所だったのでしょうか?

*望月氏は、平安の頃から、この地を治めていたと考えられています。

 木曽義仲が、平家追討の為に挙兵した際、望月氏は呼応し、従軍しています。

IMG_1903.jpg

 登ってきた道を振り返りました。

 堀跡を拡幅して道路としたようです。

*木曽義仲が滅ぶと、望月氏は源頼朝へ従いました。

 源頼朝が、奥州藤原家討伐の兵をあげた際、望月重隆が従軍しています。

a望月城Ⅱ

 先人の図面と、地形図からアップしました。

 尾根が西側、望月宿のある盆地へ突き出た地形を利用しています。

IMG_1902.jpg

 城の中心部へ向けて、道が伸びています。

IMG_1905_201611071640459c9.jpg

 往時の城道であるのか?

 畑へ軽トラックを乗り入れるために、近年つけられた道なのか判然としません。

IMG_1909_20161107164320a94.jpg

 道が左折した場所が、堀2の跡です。

IMG_1908_201611071644063cf.jpg

 藪でわかりにくいのですが、北側の斜面には、堀2が竪堀となって下っています。

 「望月城第2話・南北朝期に逼塞」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
Re: 北側に
丸馬出様 ご来訪ありがとうございます
 北側は、自然の谷を一部削り込んでいるように感じました。
 南側は堀跡のようです。
 中山道は現在トンネルとなっていますが、往時の街道は城に
隣接し、街道を押さえる城でもあったのではないかと感じてい
ます。
北側に
地形図で確認してみたところ
城の北側に台地を横断する堀のような
地形がありますが、総構えの跡でしょうか。
南側は道路の部分が谷になっていますが
これも総構えの跡のように見えますよね。
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