HOME   »  史跡  »  管領塚史跡公園 ~ 関東管領散る

管領塚史跡公園 ~ 関東管領散る

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成28年10月22日、お城仲間のМさんと管領塚史跡公園に行って参りました。

六万騎城アク

 新潟県南魚沼市下原新田121にあります。すぐ近くに「長森」の地名が残ります。

 関東管領、上杉顕定に関連する公園です。

IMG_1879.jpg

 駐車場から見た、公園の入り口です。

*上杉氏は、元は京の公家でした。

 足利尊氏が、室町幕府を立ち上げると、足利尊氏の母の実家が上杉家であったことから、重用されました。


IMG_1880_20161101125321bd0.jpg

 永正年間に、ここで下剋上があったことを知る人が少ないので、有志が管領塚史跡公園を整備し、史実を後世に伝えることとした云々と書かれています。

*上杉氏は後に、越後守護、上野守護、伊豆守護を併任し、関東管領となりました。

 室町時代末期、上野の関東管領家が途絶えたため、越後から上杉顕定が上野に入り、関東管領を継ぎました。


IMG_1882_20161101125659414.jpg

 「長森原合戦」は、新潟県史上稀有の大事であるので云々と記されています。

 公園整備にかかわった方々がそれそれ、別個に石碑を立てたってことでしょうか?

*上杉顕定に対する評価は様々ですが、関東を長きの戦乱に巻き込み、関東管領家を衰退させたと私は捉えています。

 その経緯についてご興味のある方は、下の過去記事を開き「赤字」部分をご覧ください。


 鉢型城① 鉢形城② 鉢形城③ 鉢形城④ 鉢形城⑤

 鉢形城⑥ 鉢形城⑦

*守護代長尾為景が、主筋にあたる管領上杉顕定の軍勢を長森原で破り、顕定は自刃したと伝わります。

 そのことを、「長森原合戦」と称しているのですね。


IMG_1883.jpg

 三軍戦没将士供養碑と記されています。

 「長森原合戦」で亡くなった皆様を、敵味方の区別なく、供養しようとするもののようです。

IMG_1884_20161101130731f44.jpg

 これは、「長森原合戦」とは関係ないようですが・・・

 江戸時代、米は魚野川に船を浮かべて運んだ。しかし、魚野川は流れが激しく、命を落とす者があいついだ。

 そこでお地蔵様を立て、舟の安全を祈願したそうです。

IMG_1885_201611011311327f3.jpg

 管領上杉顕定の本拠地が、群馬県藤岡市の「平井城」であった縁で、藤岡町長からも追悼碑が寄贈されています。

 ご興味のある方は、下の平井城の記事をご覧ください。

 平井城① 平井城② 平井城③

IMG_1886.jpg

 これも追悼碑ですね。

IMG_1887_20161101131643756.jpg

 上杉顕定さんの詠んだ歌のようです。

 字が上手すぎて読めません。

IMG_1888_20161101132052c5b.jpg

 こちらも歌碑ですね。顕定公句とあります。

 菊咲きて あらそう秋の 花もなし

(菊が咲いて、花を愛でる季節なのに、今年の秋は争いごとで、花を愛でることもできない。勝利の華を咲かせることもできなかった。)といった意味でしょうか?

 この地区には大小の塚が点在しており、「長森原合戦」の戦死者を埋葬した塚であると考えられてきました。

 ひときわ大きな塚からは、鎧通しが出土し、上杉顕定の墓であると言い伝えられてきたそうです。


 その場所は、この公園とは別の場所にあるそうです。

IMG_1881.jpg

 この塚は、史跡公園用に盛られたのですね。

 稀有な人生を走り切った上杉顕定さん。安らかにお眠りください。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡の部屋」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード