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武田信玄上州侵略の橋頭堡~群馬県砥沢城?

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の菅原です。

 平成20年4月2日に砥沢城へ行ってきました。

 砥沢城は、群馬県南牧村砥沢にある複合型の城塞です。
 砥沢地方は、古くから良質の砥石の産地として栄え、江戸時代は天領となり、砥石を直接幕府へ納めたとのことです。


 さて、戦国時代、群馬県の豪族の中で一番最初に武田信玄への忠誠を誓ったのが、南牧村を治める「南牧六人衆」でした。
 戦国後期、武田信玄は国峯城の小幡氏を味方に引き入れ、箕輪城の長野氏を攻め滅ぼし、群馬県西部を領国に組み込むことに成功しますが、その第一歩がこの砥沢城だったのです。


 ここらあたりの歴史を詳しく書きたいと思い「南牧村役場教育委員会」を訪問してお訊ねしたのですが、「わからない」とのことでした。

 食い下がり、頼み込んで「南牧村史」を拝見したところ、「古代」の次が「近世」で、「中世」が存在していませんでした。  ス ゴ イ !


 そういったわけで砥沢城の創設、城主等はわかりません。

 「南牧六人衆」のうちの一人の城であったものが、武田信玄の援助により拡張工事が行われ、現状の複合型要塞になったのではないかと推察いたします。

 武田信玄としては、せっかく手に入れた群馬制圧への足ががりを絶対に手放したくなかったはずです。

 


 砥沢城は「居館」とその裏山の「下城」、そして高所にある「詰城」の三部構成となっています。
 居館である「砥沢城館跡」の表示があります。

 手書きが、いい味をだしてますね~


 


 館跡の石垣です。館跡は砥沢川と南牧川の合流点にあり、三方を川に囲まれ、背後を山に守られた立地です。

 


 館跡と裏山(下城)の位置関係がわかる写真です。

 この写真の右側に登り口を求めました。

 


 裏山の「下城」(勝手に名付けました)部分の写真です。

 「群馬の中世城館跡」に掲載されている縄張り図では、このあたりに郭が多数あるはずなのですが、木材の伐採・搬出工事のための作業道が縦横に切り開かれ、遺構の確認は難しい状態でした。

 


 下城から館跡を見下ろした写真です。結構な急勾配です。

 

 後半の「詰城」へ続く・・・・


      この細尾根を1時間登りきった場所にあったものは?!

 

 

ホームページ「土の城への衝動」   http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

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