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御前崎朝比奈城(6) ~ 北信濃衆の堀か

 御前崎朝比奈城の最終話です。

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 四郭の南側です。

 奥の土橋方向が低くなっていることが分かります。

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 四郭の北方向です。

 更に北へ進むと・・・

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 堀切4が見えてきます。

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 本郭の背後に3本の堀切があります。

 連続堀切は長野県北部において多用されます。

 戦国後期、武田勝頼は越後の上杉景勝と同盟を結びました。

 長野県北部の武将たちは越後との国境線を守らなくとも良くなたっため、駿河の最前線の防備に回された・・・

 彼らは自らの身を守るため、北信濃で使用した連続堀切をこの地でも普請した・・・

 のではないかと、同行のМさんと話し合いました。

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 四郭の北側には、一段低くなっているラインがあります。

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 堀切4が見えてきました。

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 堀切4のアップです。

*武田勝頼は、長篠の戦いで敗れ、東海戦線での退勢がはじまりました。

 徳川勢が諏訪原城を奪取したので、高天神城は徳川の勢力圏に孤立する存在となってしまいました。

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 三郭です。

*武田勢は、御前崎朝比奈城、横舟城、八幡平の城などを構築または、追加普請し、高天神城への補給路を確保し、補給を持続しようと努力しました。

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 堀切3です。

*徳川軍は、高天神城の周りに付城を幾重にも構築し、補給は絶たれ、高天神の救出は困難となりました。

 武田勝頼は、大井川以西の割譲を条件に、高天神城兵の助命を申し出ました。

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 「G」です。

*徳川家康は、武田の条件を織田信長へ伝えました。

 織田信長は言いました。

 「武田勝頼が高天神城を見殺しにした。他の城も見殺しにされるぞ」と宣伝をする予定だ。

 武田の条件は飲めん。

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 本郭です。

*それでも武田軍は、条件を履行し誠意を示すため・・・

 御前崎朝比奈城をはじめとする大井川以西の城を放棄し、大井川以東へ撤退したものと推察されます。

 これらの城での戦闘の記録や、落城の伝説が無いからです。

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 北側から見上げた、御前崎朝比奈城の遠景でお別れです。

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