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塩買坂陣場(1) ~ 真田昌幸着陣伝説

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成28年2月3日、塩買坂陣場に行って参りました。
 静岡県御前崎市新野にあります。

塩買坂陣場アクセス

 相良から長野県へ塩を運ぶ「塩の道」を城域に取り込んでいます。

 関所的な役割があったのではないかと推察いたします。

IMG_8314_201602121540428d7.jpg

 陣場内にある「塩の道・秋葉道」の表示です。

IMG_8289.jpg

 この用水池も目印となります。

塩買坂陣場

 地形はできるだけ忠実に描写することを心掛け、その上で・・・

 妄想により、堀切、木橋、土塁、小口等を付け加えました。

 「C」と「D」が関所部分で、関所部分を敵に取られても、本郭から兵を出して、関所部分を奪還できる構造になっていたと推察いたします。

IMG_8290_2016021215470355b.jpg

 「D」から、本郭方向を撮影しました。

*静岡県掛川市のHPには・・・

 1571年に、「武田信玄が塩買坂に陣を張り、山県昌景をして、高天神城を攻めさせる」と記されています。 


 その際、「E」の部分は雑兵の駐屯地となったのでしょうか?

IMG_8291.jpg

 「E」に降り立ち、本郭を目指します。

*しかし、武田信玄は翌年にこの世を去り、武田勝頼が跡を継ぎます。

IMG_8293.jpg

 本郭に近づくにつれ、通路は次第に狭くなります。

*武田勝頼は、高天神城を奪取しますが、長篠の戦いで惨敗してしまいます。

 痛かったのは高天神城北東にある諏訪原城の陥落でした。

 諏訪原城の陥落により、高天神城は徳川領に孤立する存在となってしまったのでした。


IMG_8294.jpg

 本郭の手前では、竪堀状の食い込みが更に通路を狭めています。

 *学習研究社「真田三代」によりますと・・・

 武田軍は高天神城へ兵糧を運び入れる際、徳川勢を恐れ、南の海沿いの道を使用したということです。


IMG_8296.jpg

 二郭側から撮影した本郭。

*しかし、真田昌幸のみは、相良城から真っすぐ西へ向かい、塩買坂を経由して高天神城へ入ったということです。

 この気概が息子の真田幸村に引き継がれたのでしょうか?


IMG_8297.jpg

 二郭側から見た三郭です。

 「塩買坂陣場第2話・高天神の渇望」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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