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広木大仏城を求めて(2)

 五遁です。

 平成27年12月31日には、広木大仏城を求めて、埼玉県美里町大字広木を徘徊してまいりました。

 広木大仏城は、戦国末期に北条氏が築いたのではないかとされる城です。

 甲陽軍鑑には、武田勢が広木大仏城へ攻めかかるも、落とせずに撤退する記述があります。

 しかし、広木大仏城の場所は特定されていません。

 また、甲陽軍鑑が江戸時代に書かれた小説であるため、広木大仏城の存在自体を疑問視する向きもあります。

 私は、そんな広木大仏城を求めて、数年来、徘徊を続けています。

IMG_4024_20160101163253869.jpg

 手掛かりを求めて、常福寺へまいりましたところ、武田軍により焼失したとの記録があり、時期も甲陽軍鑑のそれと符合します。

 甲陽軍鑑には、武田軍は広木大仏城の右(西)側を放火したとあります。

 つまり、放火された常福寺の東側に、広木大仏城があるということになります。

img021.jpg

 常福寺の東側には、小高い丘があります。

 また、北条の重要拠点鉢形城への街道を押さえることができる場所でもあります。

IMG_4012.jpg

 北側から「A」を見上げました。

 攻め上るのに苦労する角度ではあります。

IMG_4066_20160107113551563.jpg

 西側は、少々、地形的に緩い感じですね。

IMG_4068_20160107113731a2c.jpg

 西側には「F」の、堀状の窪みがあります。

 地形的な弱さを補っていたのでしょうか?

IMG_4029_20160107114602459.jpg

 大興寺の手前が塁壁っぽくなっていますが、これは近年の造成である感じです。

IMG_4036.jpg

 「A」へやってきました。 平らです。

 木が若いですね。

 昭和のころまで畑だった可能性がありますね。

IMG_4041_20160107114147e84.jpg

 僅かな窪みのラインがあります。微妙ですね。

 微妙なので、図へは落とし込んでいません。

 家に帰って調べたところ、多くの先人がこの地を「怪しい」とされていることを知りました。

 写真の奥の方が「B」で、一段低くなっているのが分かります。

 「広木大仏城を求めて第3話」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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