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祢津陣屋跡 ~ 高崎常安寺

 五遁です。

 平成27年12月7日、祢津陣屋跡に行ってまいりました。

 群馬県高崎市下豊岡町1405 にあります。

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 長野県東御市に本貫の地を持つ祢津氏は、安土桃山時代、周辺勢力に翻弄されました。

 ある者は、真田氏の家臣となり、ある者は徳川家に従いました。

 徳川に従った祢津氏は、この地に所領を与えられました。

 陣屋が構えられた場所が、この常安寺のある場所であったということです。

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 道路が堀であったのでしょうか?

 境内のほうが高くなっています。

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 お堂ですね。

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 石碑があります。

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 「祢津政直君開基」と記されています。

 初めにこの地に所領を与えられたのが、祢津政直で、その頃は5千石だったそうです。

 この地に所領を与えられて、間もなく常安寺を開基したのでしょう。

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 木戸孝正さんが建てた石碑のようですね。

 桂小五郎の養子で、公爵となった人ですね。

 祢津家とどのような関係なのでしょうか?

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 明治時代に立てられた石碑ということですね。

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 こちらは新しい表示です。

 1570年に、祢津常安さんが開基したと記されています。

 先ほどの石碑と矛盾していますね。

 武田家滅亡が、1583年ですから、それ以前ということになります。

 武田家が滅亡するまで、この地は武田の領地で、祢津氏は箕輪城の守りに任じられていました。

 その時に、祢津常安さんが、お寺を開いた?

 武田家が滅亡してこの地は北条の支配下になった。

 その後、北条が滅び、関東に徳川が入り、祢津氏も従った。

 徳川家は、祢津氏ゆかりの常安寺のある土地へ祢津氏を封ずるという、配慮をしたという流れなんでしょうか?

 それとも、誤認があるのでしょうか?

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 お堂建て替えの費用を寄進した皆様の名前があります。

 馬場、原、山県・・・武田家臣系の名字がありますね。

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 浦野さんの名前がたくさんありますね。

 浦野氏は、祢津氏と同じ、滋野の分流とされていますね。

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 こちらには、「上野碓氷郡豊岡・常安」と記されています。

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 石灯籠があります。

 徳川からこの地を与えられた祢津政直の跡は、祢津信光が継ぎ・・・

 そのあとの祢津政直は、5千石の加増を受け、1万石の豊岡藩を立てました。

 ところが、その子祢津政次には子がなかったため、豊岡藩は僅か2代で廃藩となったということです。

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 この地からは浅間山が見えます。

 浅間山の向こう側には、祢津氏本貫の地があります。

 祢津家の皆さんは、浅間山を眺めては、先祖の地を思ったのでしょうか?

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