HOME   »  中世城郭  »  祢津下の城(4) ~ 2本の堀切

祢津下の城(4) ~ 2本の堀切

 祢津下の城の第4話です。

IMG_3533_201512201152553b6.jpg

 「い」の横堀から、三郭を見上げました。

 大迫力ですね。

 ここを攻め上るように命じられたら・・・

 出来ません!と言って逃げ出したくなりますね。

 でも、出来ませんなんて言ったら、その場で味方から殺されてしまうんでしょうね。

*武田勝頼の時代になると、祢津政直は北信濃の飯山城の守りに任じられました。

 しかし、1582年3月、織田・徳川連合の侵攻により、武田家は滅亡してしまいます。

 根津政直は、抵抗せずに飯山城を織田軍へ明け渡したため、命は助けられ、帰郷を許されました。

 本能寺の変により、織田信長が倒れると、北条氏直が小県へ侵攻してきました。

 祢津政直は、北条氏の傘下となりました。


IMG_3540_201512201238326e5.jpg

 二郭の図手前側には、「D」の腰郭があります。

*北条氏直は甲斐若神子で、徳川家康と対陣します。

 同年10月19日、同じく北条の傘下に入っていた真田昌幸が徳川方に寝返りました。

 真田昌幸は、所領が接する祢津氏への攻撃を開始しました。

 10月29日、不利を悟った北条氏直は徳川家康と和睦を結び、関東へ撤退しました。

 甲斐・信濃は徳川家の切り取り自由という条件でした。


IMG_3543.jpg

 「D」の腰郭の脇は、厳しく削り込まれています。

*その後、祢津政直は徳川家康の家臣となりました。

 一方、祢津昌綱が真田昌幸の家臣となっています。

 祢津家は、方向性の違いから分裂したようです。


祢津下の城

 搦手側の高原地帯に攻城側が陣を据えるのは、余程の大軍でないと無理ですね。

 その大軍が迫りくる可能性が高い時期に、本郭から搦手にかけての追加普請が行われたことでしょう。

 それは武田家滅亡後のことだと思います。

IMG_3544.jpg
 
 「D」から、「あ」の堀切を撮影しました。

IMG_3556_2015122012595603f.jpg

 二郭に入りました。

IMG_3557_2015122013013629f.jpg

 本郭へ近づいてきました。

IMG_3558_20151220130306efa.jpg

 「あ」の堀切を見下ろしました。

 「祢津下の城第5話・大手小口」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード