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群馬県菅沼城 ~ 徳川家譜代

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成20年5月31日に、菅沼城に行ってきました。

 

a八幡平アク

 菅沼城は、群馬県安中市郷原にあります。

 安中市役所から、国道18号を4キロ程進むと郷原交差点があり、そのすぐ南です。

IMG_2243.jpg

 

        菅沼城は、現在、海雲寺の境内となっています。

 

 日本城郭体系によりますと、菅沼城の城主は菅沼定清で、菅沼定盈の一族であるとのことです。

 

 菅沼定盈をご存知の方は、なかなかの戦国通と言えるのではないでしょうか?

 

IMG_2242.jpg

 

        境内に入るとササヤカナ土塁が残っています。

 

 菅沼定盈をご存知の方には、釈迦に説法ですが・・・

 

 菅沼定盈は三河の国の地衆菅沼一族の一人で、戦国後期は徳川家康に仕えていました。

 

 ところが、甲斐の虎、武田信玄が西上の軍を発すると、周辺の豪族、同じ菅沼一族も、ホトンドが信玄に従ってしまいます。

 

IMG_2241.jpg

 

      ただの竹林ではありませんよ・・・ 土塁ですよ・・・

 

 その様な情勢の中、菅沼定盈は一人家康への忠誠を崩しませんでした。

 

 諸国廃城考によると・・・

 

 家康と織田の連合軍を三方ヶ原にて撃破した甲斐の虎は、3万5千の大軍で、菅沼定盈の篭る野田城を囲みます。

 

 野田城の守兵は400!!!

 

 普通は逃げます! 城を捨てて逃げます!!

 

IMG_2240.jpg

 

 ところが菅沼定盈は、堅く守って防ぎ戦った・・・ その為、信玄は金堀衆に水の手を切らせた・・・ 城兵が渇きに苦しむのを見て、信玄は「城を開けば命を助けよう」 定盈は「城兵の命を引き換えに私は切腹しましょう」

 

 合意で開城した定盈が切腹しようとすると、武田はこれを捕縛し、切腹させませんでした。そして、「武田に従うなら良きに計らうぞ・・・」 「卑怯な! ワシは武田には従わん!」

 

 ここらへんは、江戸時代に脚色されていると思われるのですが・・・

 

 後日、菅沼定盈は人質交換にて、家康のもとへ戻り、長篠の合戦では鳶ノ巣山砦を陥落させる武功を上げ、武田への雪辱を果たしたとのことです。

 

 徳川家が関東へ移封となると、菅沼家も関東へ・・・

 

 

suganuma.jpg

 これほどまでに、徳川への忠誠を尽くしたのに・・・

 

 関東での領地が・・・ この小城ですか? 堀や土塁は、見せ掛け程度に作った感じです。

 

 防御を前提にしているとは思えません。

 

 菅沼さんも、武士の居館としての体裁だけは整えたかったのでしょう。

 

 切ないですね・・・

 

 徳川は、譜代に対して、気配りが無さ過ぎます・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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