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塩沢城(5) ~ 夜討沢から上杉勢

 塩沢城の最終話です。

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 詰郭の背後には、急斜面があります。

*長尾景春は、秩父には長尾家の分流が配されているので、強固な地盤であると感じたのでしょうか?

 秩父奥深くに拠点を構え、管領上杉軍が来襲すれば、ゲリラ戦で抵抗し、持久し周辺勢力の事態が好転するのを待つ作戦だったことでしょう。


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 急斜面の途中から、詰郭を見下ろしました。

 本郭同様、背後から攻め下られると弱い構造です。

*しかし秩父地衆は、平安の昔からの名族秩父平氏の誇りを持っていたはずです。

 室町期になって、外部から領主ヅラして、入ってきた勢力に心服していたわけではなかったことでしょう。

 彼等にとっては、有利な方、本領安堵を保証してくれる方に付くのは当然のことだったでしょう。


塩沢城

*塩沢城のすぐ南東に沢があり、その沢の南東に四阿屋山があり、その更に南側に沢があります。

 その沢には、「夜討沢」の地名が残っています。

 上杉勢は、「夜討沢」をつたって、塩沢城背後のピークを越え、塩沢城へ攻め込んだものと思われます。


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 急斜面を登り切りました。

 今度は、登りは緩いけど、両側がエラク切り立った細尾根に出ます。

*光無き夜間に、沢を伝い、尾根を登り、塩沢城の背後まで行軍するのですから、秩父以外の勢力には無理な行軍ルートです。

 上杉勢は地衆の内応を得て、地衆の先導により行軍したことでしょう。


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 細尾根を登っていくと、最高所の鐘衝場に到着です。

 物見であったと思われます。

 敵勢を発見したら、鐘を衝き鳴らして、味方に急を告げたのだと思われます。

*上杉勢は、ここ鐘衝場から、詰郭、本郭へ攻め下ったものと思われます。

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 鐘衝場には板碑や、石祠があります。

 長尾景春を祀ったのでしょうか?

*長尾景春勢は、安心して寝静まっているときに、城の背後から敵勢が攻め下ってきたので、驚いたことでしょう。

 塩沢城の構造が、背後からの攻撃に抵抗不能であることは、読者の皆様もご理解いただけると思います。


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 鐘衝場の背後には切岸があり・・・

 堀が埋まってしまったのかな?と感じる地形がありました。

*長尾勢は総崩れとなり、塩沢城は落城。

 長尾景春は、同じ秩父の 「熊倉城」 へ落ちていったとされています。


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 秩父地志掲載の塩沢城図。

*長尾景春が、怨敵管領上杉顕定の戦死に加担し、復讐を成就させるまでには、こののち更に30年の歳月を要するのでした。

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 東側からの遠景でお別れです。

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