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山梨県能見長塁 ~ 徳川劣勢克服の秘策

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年2月7日、お城仲間のMさんと、能見長塁に行ってきました。

 

 能見城は、山梨県韮崎市穴山にあります。

 

 JR中央本線穴山駅から、東方に向けてあります。

 釜無川と塩川の断崖に挟まれた台地を、ぶった切るように約2キロにわたって長塁が造成されています。

 

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        JR穴山駅です。いい味を出していますね~。

 

          駅前には売店も食堂もありません。

 

 ここ穴山の地は、武田勝頼を裏切り、武田家を滅亡させた極悪人「穴山梅雪入道信君」の本来の領地であります。

 

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     駅前には、「中世の豪族・穴山氏紹介」の解説版があります。

 

      さすがに地元だけあって、例の件は、記載されていません。

 

 

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      駅前通りから北を見ると、能見城跡の表示があります。

 

 能見城は、穴山氏の要害城であったと思われます。

 

 十数年前は、山頂へ登る道があり、山腹から山頂にかけて続く長塁を見学できたのですが、現在は私有地につき立ち入り禁止となっておりました・・・ 悔しいです!

 

 

nouken.jpg

 武田家が滅亡し、織田信長が本能寺の変に倒れると、甲斐、信濃は無主の地となりました。

 

 北条氏直は碓氷峠を越えて佐久を席巻し、若神子に着陣、獅子吼城と豆生田砦も押さえます。

 

 徳川家康は、甲斐の古府中を押さえて新府城へ着陣、天正壬午の乱が勃発します。

 

 北条は総勢5万5千、徳川軍は総勢1万・・・

 

 能見の長塁は、この時徳川軍が、圧倒的な劣勢を克服する為に、構築したとされています。

 

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       御名方神社の周辺には、長塁と堀がよく残っています。

 

 武田家滅亡の際、織田信長は武田家の家臣を次々と殺しましたが、徳川家康は、武田家臣の依田信蕃を匿います。

 

 その為、信長が死んで家康が甲斐に入ると、多くの武田遺臣が家康の元へ参集しました。

 

IMG_1201.jpg

神社の、図、左側の堀跡です。
 
 対する北条軍は・・・ 関東での圧倒的優勢が続き、大軍で敵城を囲んでは、開城させるといった戦略を続けていた為、戦闘経験の浅い集団となっていました。
 

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                 神社近くの土塁です。

 

 長塁の普請は、若神子城へ圧力を掛けることと、駐屯地の確保の目的があったと思われます。

 

 北条の分隊1万は、古府中南方の御坂峠から徳川の背後を突こうとしますが、僅か2千の鳥居元忠隊に破れ、撤退してしまいます。

 

 徳川軍は、豆生田砦と獅子吼城も奪取し、大軍の北条は、負け続けます。

 

IMG_1209.jpg

     神社付近の塁壁を別角度から見ました。三段になっています。

 

 関東は北条、甲斐、信濃は徳川が取るという(徳川だけが徳をする)条件で、和睦が成立し、北条軍は撤退・・・

 

 世に「徳川強し!」を、印象付けたのでした。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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