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根城(15) ~ 廃城・遠野へ

 根城の最終話です。

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 私も50歳を超えましたので、分別をわきまえようと、努力・・・ して・・・

 柵の中へ今の時間は入ってはいけません・・・

 そこで、柵の外から・・・ 柵の中を撮影しました・・・

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 北門のアップです。

*1591年、三戸家の専制に反発した、九戸氏が蜂起しました。

  詳しくは、こちらをご覧ください 

    ⇒ 九戸城① 九戸城② 九戸城③ 九戸城④ 九戸城⑤

  三戸家は自力では、対応できず、中央政府の援軍を迎え、蜂起を鎮圧しました。

  根城南部(八戸)家は、三戸側として、鎮圧に貢献しました。


根城

*1615年、豊臣秀吉が一国一城令を発しました。

  このとき根城は廃城となりました。

  しかし、根城南部(八戸)氏が、居館として使用することは許されました。


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 東門のアップです

*その後、三戸家は・・・

 「三戸城の倉庫で火事が起き、三戸家に関する記録が焼失していしまいました。」と、過去を隠蔽したうえで・・・

 「奥州南部成立の昔から、三戸家こそが、南部の正統である。」とする歴史を創作し、流布させました。

  現在、史実として扱われている多くのことが、三戸による創作であることを知る人は少ないことでしょう。


DSCF3954.jpg
 復元納屋です。

*やがて三戸家は南部代表としての権力を、私心の為に乱用するようになりました。

 1617年、下北半島の領地を接収してしまいました。

 根城南部氏が、後花園天皇から与えられた、由緒正しき領地なのに・・・


DSCF3955.jpg
 馬屋も復元されています。

*1627年、三戸家は根城南部(八戸)家へ、遠野への領地変えを命じました。

  表向きは、「遠野の支配が不安定なので、御家に力を発揮して頂きたい。」という理由でしたが、本音は、「交易と漁業で栄える八戸の地を、三戸の思うようにしたい。」ということだったでしょう。

  根城南部(八戸)家は、命令に従うしかありませんでした。


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 探したら、8年前の写真が出てきました。

 8年前は、家族と一緒、昼過ぎの訪問でした。

 馬屋には、馬の模型がいます。

*根城南部(八戸)家の面々は

 「秀吉公からお声がかかった時、当主政栄が小田原に参陣していれば、

  この様な理不尽な目にあわずに、すんだものを・・・ 」

  と、悔しがったということです。


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 これも、8年前撮影の復元本殿ですね。

*以後、根城南部氏(八戸氏)は、遠野南部氏と呼ばれるようになりました。

 遠野南部氏は、代々盛岡藩の重臣を務め、幕末まで存続しました。

  また、明治政府による南朝派武将の再評価が進むと、南部師行以来の貢献が評価され、華族に列せられたということです。


DSCF3968.jpg

 史跡根城址石碑と、本丸の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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