FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  根城(10) ~ 秋田遠征

根城(10) ~ 秋田遠征

 根城の第10話です。

DSCF3921.jpg
 根城の北側には、馬淵川が流れています。

* その後も、南朝の勢力は衰えるばかりでした。

 南朝の後亀山天皇は、自らの決断により、南北朝の混乱を終結させる決断をしました。

 「南北朝合一」です。


 DSCF3917.jpg
 根城の西側には「西ノ沢」があり、天然の堀となっています。

*南朝の天皇家と、北朝の天皇家が交互に皇位に就くことを条件に・・・

 南朝の後亀山天皇は、北朝の後小松天皇へ神器を引き渡し、皇位を放棄しました。

 1392年のことです。


根城
 北と西が要害地形なので、築城にぴったりの場所ですね。

*この「南北朝合一」により

 北朝派の大名と、南朝派の大名が争う根拠は消滅したのでした。

 三戸南部の口添えで、根城南部政光は室町幕府の傘下へと入ることになりました。


DSCF3922.jpg
 西ノ沢側から見上げた「A」の土塁です。

*根城南部当主政光はその際、嫡子ではなく甥の南部長経へ譲りました。

 室町幕府から「家名存続は許すが、抵抗し続けた直系は、家督から外れてもらいましょうか?」的な、圧力があったのでしょうか?


DSCF3923.jpg
 西ノ沢を南へ進んでいくと・・・・

 「B郭」と「C土塁」が見えてきました。

*「はちのへ物語」では、南部政光は、自分は北朝に降らないで、後継者が降ることを条件にしたとされています。

 いずれにせよ。根城南部氏と他の南部氏が同じ陣営へと治まったことにより、南部グループとしてまとまっての軍事行動が可能となりました。


DSCF3924.jpg
 「A土塁」のたもとから、西ノ沢を見下ろしました。

 多分、西ノ沢は往時沼地であったでしょうから、

 攻城兵が西ノ沢の沼の泥に足を取られているところへ「A土塁」の上から鉄砲を撃ちかける・・・

 といった、防戦方法が想定されて意図ことと思われます。

*南部グループは、集まって話し合いをしました。

 「このところ秋田の安東氏が、南部領へ兵を出し、略奪することが増えています。」

 「こちらから兵を出し、たたきのめし、二度とちょっかいを出せないようにしましょう。」

 「それが良い。」


DSCF3925.jpg
 土塁があると、登らすにはいられません。

*根城南部氏からは、当主の嫡男「南部光経」が出陣することとなりました。

DSCF3927.jpg
 「A土塁」の上から、堀越しに本丸の塁壁を撮影しました。

 高さは10メートル以上ありそうです。

 「根城第11話・向鶴家紋の言われ」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード