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根城(7) ~ 攻めよせる北朝軍

 根城の第7話です。

DSCF3860.jpg
 東善寺の北側の腰郭から、東側を撮影しました。

DSCF3866.jpg
 東善寺の西側に出ました。

 西側には、堀状の広い窪みがあります。

*業を煮やした足利尊氏は、相模の豪族曽我氏へ根城討伐を命じました。

 曽我氏は、津軽に分流を配していたので、分流と合力すれば難しくないと踏んだのでしょう。


DSCF3874.jpg
 堀状の広い窪みに西側には、中館東と、中館があります。

*曽我氏は、津軽で分流と合流すると、北から根城へ攻めかかりました。

 1341年夏のことであるとされています。


根城
 東善寺と中館東の間の地形は曖昧なので、イメージ図も曖昧にしておきました。

*根城の城門が弓矢でハリネズミのようになるほどの激戦であったということです。

 後に城門を移築する際、木材から矢じりが見つかったということです。


DSCF3869.jpg
 東善寺跡の表示があります。

*南部政長は小兵ながらも、良く応戦しました。

 城は1年たっても、持ちこたえていました。


DSCF3872.jpg
 室町時代、根城内の祈願所として東善寺が建立されましたが、その後廃され、現在は墓石のみが残っています。

*2年目の夏が過ぎ、秋にさしかかる頃、曽我勢は攻勢を強めました。

 最早落城かと思われました。

 南部政長は覚悟を決め、自ら兵を率いて城から突出しました。


DSCF3876.jpg
 東善寺館と中館東を区切る堀の南側です。

*南部政長の決死の覚悟が功を奏し、曽我軍の総大将を討ち取ることが出来ました。

 曽我軍は、根城の包囲を解き、敗走していきました。


DSCF3877.jpg
 中館東に入りました。

 「根城第8話・家名存続への配慮」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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Comment
Re: 面白いですね~
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 青森の言葉は、外国語ですよね!
 津軽に行くと、もっと外国度が増します。
 「どうぞ、お召し上がりください。」が「け」ですから(笑)

 手子丸城は今の時期、草木で遺構の観察が難しいですよね。
 段々にしただけの削平地が延々と連なっていますよね。
 中心部を技巧的とおっしゃる方もいますが、私が昔行った時は
やはり、草木でよくわかりませんでした。
 萩生城と松井田城も行かれましたか。
 松井田城は広いので、踏査に時間がかかりますよね。
 個人的には松井田城の連続畝掘が好きですね。

 それでは、またの御来訪をお待ちしております。
面白いですね~
お邪魔します、以前定期的に三沢に行くことがあり根城にも発掘中、整備中、整備後と訪れた事があるのですが当時西国の山城を廻っていたので、発掘中は「これは戦国期の城跡ではなく環濠集落だろ~」と思っていました、整備後もすぐに訪れたのですが、それまで何ヵ所かで見た環濠集落と基本一緒に見えました、江戸期まで使用された城と知りビックリした思い出があります、その後周辺の浪岡、七戸など変な城?も見る事になり城のイメージを大きく変えるきっかけになりました。

しかし、細部までの観察さすがですね!自分は道路反対側まで見れませんでした、なんか異国の地を歩くようで・・・(笑)
南方系の自分には言葉もあまり理解できずカルチャーショックの地でした、まだ若い方に「○#?・× ケロッ」と言われた時には思わず英語を使ってしまいました(苦笑)

先週 手子丸城行きました、良く残ってますね~ 初訪なので図面を見ながらの遺構確認が精一杯でした、かなり体力戦の城ですね、冬枯れ期にまた行きます、他は荻生城と松井田城に行きました自分の観察スタイルでは このクラスの城は1日1城になってしまいます(苦笑)
それでは またお邪魔します 冬枯れが待ち遠しいですね! 失礼いたします。
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