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国宝瑞巌寺(4) ~ 伊達政宗切腹計画

 瑞巌寺の最終話です。


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 仮本堂と、庫裡を後にすると、見学の順路は北側に続いています。

 岩壁をくりぬいた門があります。

 風情がありますね。

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 門をくぐりぬけても、まだ、両側に岩壁が続いてます。

 この岩壁の上に兵士を配置したら、瑞巌寺はナカナカノ防御性を発揮できるのでは?

*そういえば・・・ 「東奥老士夜話」に・・・

 徳川家康死去の際、伊達政宗はクーデターを計画していたという伝説が記されています。

 伊達政宗の長女のお婿さんは、徳川家康の六男「徳川忠輝」でした。

 伊達政宗は、「徳川忠輝」を押し立てて挙兵し、「徳川忠輝」を将軍に据え、自らは後見役として、政務を取り仕切ろうと計画した。

 そのための、軍勢の展開や、合戦の進行に付いて幾通りものシュミレーションをした。

 シュミレーションの中には、戦に敗れた場合を想定したものもあり・・・

 伊達政宗は、ここ瑞巌寺で切腹する計画となっていたということです。

 政宗が切腹の段取りを整えるまでの間、敵軍を一定時間食い止める防備が瑞巌寺周辺にあってもおかしくはありませんね。


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 石門を抜けて、瑞巌寺境内の北側に出ました。

 瑞巌寺境内を防御する城壁の様に岩壁が延々と続いています。

*シュミレーションの結果、利あらずと判断されたのか?

 伝説は伝説にすぎないのか?

 クーデターが実行されることはありませんでした。

 しかし、その直後「松平忠輝」は越後75万石を没収されていしまいました。

 裏に何かがあったのではと、勘繰りたくなってしまいますね。

 政宗の長女は、この領地没収時に離縁となり、以後を仙台で過ごしたということです。

 実利が無くなり、リスクが増えたとあっては政宗も、損切りをせざるを得なかったのでしょう。

 可哀想なのは長女ですね・・・


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 見学路は、瑞巌寺境内の北側の丘の上へと続いています。

 丘の上に、何やらきらびやかな建物がありますね。

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 「陽徳院御霊屋」です。

 ここも今だけ特別公開であるということです。

*若き日の伊達政宗は、福島の田村氏の娘を正室としました。

 田村家は、小大名とはいえ「平安の東征将軍坂上田村麻呂」を始祖とするとされる名家で、この婚姻は伊達家の箔付けに貢献したことでしょう。

 政宗の正室は、愛姫(めごひめ)もしくは、田村御前(たむらごぜん)と呼ばれました。

 政宗逝去後、愛姫は仏門に入り「陽徳院」と称しました。

 その陽徳院の霊廟であるということです。


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 今だけ特別公開と言うことなので、折角ですから至近距離で・・・

 まばゆいばかりの金箔ですね。

 1660年の造営だそうです。

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 「陽徳院御霊屋」の後の見学路は、瑞巌寺境内に戻ります。

DSCF4045.jpg
 宝物館があります。

 内部は写真撮影不可なので、映像を提供できないのが残念なのですが、伊達家に伝わる宝物の数々、資料等見所が満載ですので、是非、立ち寄られることをお勧めいたします。

 個人的には、「宮城県指定文化財・大脇差」に心が吸い込まれてしまいました。

 全国の伊達政宗ファンの皆さん!

 東北は遠いですが、是非、仙台城とセットで訪問されて下さい!


 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡などの部屋」
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