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真壁城(6) ~ 浅野長政入城

 真壁城の最終話です。

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 「B郭」の東側は墓地となっています。

*1602年、佐竹氏は秋田への転封を命じられました。

 関ヶ原の戦いの際、表向きは家康に従うと言いながら、裏では西軍寄りの姿勢をとっていたことに対する、懲罰であるとの見方が有力です。

 また、幕府のある関東を徳川親族と徳川譜代でまとめたいとする思想もあったことでしょう。


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 本郭南側の堀は埋められ、住宅地となっています。

*真壁氏は、その頃は1大名ではなく、佐竹氏の家臣の立場となっていました。

 真壁氏幹から、家督を譲り受けていた真壁房幹は佐竹氏に同行し、秋田の角館に入り1500石を与えられました。


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 本郭南側の堀も・・・

*真壁氏幹は、秋田へ同行せず。真壁に残りました。

 歴戦の雄者も余生は、住み慣れた地で送りたかったのでしょう。

 また、戦功に報いてくれない佐竹氏に対するわだかまりもあったのかもしれません。


真壁城
 現在、本郭から、二郭東、庭園へ向けて道路が敷設されています。

 城址公園の管理に携わっている方のお話ですと、その通路は公園整備の作業用道路として近年敷設されたものだそうです。

 だので、このイメージ図ではその通路を無視しています。

 ただ、二郭東と本郭の行き来は必要だったと思われますので、木橋を描いてみました。

*1606年、真壁城に有名人が入城しました。

 浅野長政です。

 浅野長政は、浅野幸長へ家督を譲り、隠居しました。


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 近年敷設された通路上から・・・

 本郭と二郭東を隔てる堀の南側を撮影しました。

*その際、徳川家康から隠居料として、真壁5万石を与えられたのです。

 豪勢な年金ですね。


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 今度は北側です。

*浅野長政と言えば・・・

 織田信長配下の小者から、大名に成りあがった器量人。

 豊臣政権を支えた、五大老、五奉行のうちの、五奉行のひとりだった人ですね。


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 本郭は現在、体育館とその駐車場となっています。

*甲斐甲府を居城として、東国取次役に任じられたこともありました。

 その際、伊達正宗に無理難題を押し付けて、後に絶縁状をたたきつけられたこともありますね。

 大河ドラマにちょくちょく出てくる有名人です。


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 本郭の北東部には「A」の突出部があります。

*1611年には、浅野長政の跡を継いだ浅野長重が城主となりました。

 1622年、浅野長重は加増で笠間領を与えられました。


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 突出部の先端です。

 この先に木橋がかかり、二郭北と連絡していたものと思われます。

*浅野長重は、居城を 「笠間城」 へと移しました。

 それにともない、真壁城は廃城となりました。

 浅野家のこの系列は、その後赤穂に移され、その時、江戸城松の廊下で事件を起こし、改易されました。


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 「A」の北側にも水掘が残っていました。

*真壁地方の支配拠点として、真壁城の西方に真壁陣屋が置かれました。

 真壁陣屋は、近年市街化により破壊されてしまいました。

 今は、陣屋跡に 「真壁伝承館」 が建設され、真壁の歴史に触れることができます。


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 解説版の写真でお別れです。

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