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真壁城(5) ~ 関ヶ原前夜の大改修

 真壁城の第5話です。

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 「F」の土壇は、外郭に進入した攻城兵を射撃で制圧すべく、外郭の中央へ張り出しています。

 そして「F」は幅の広い水掘で守られています。

*豊臣秀吉が亡くなると、徳川家康は天下掌握の野望をあらわにしました。

 それに抵抗したのが、石田三成&上杉景勝&佐竹義宣達です。

 真壁氏も佐竹配下として、歴史のうねりに巻き込まれていきます。

 関ヶ原の戦いの2年前、真壁家の当主は真壁房幹へ移譲されていました。


真壁城
 位置関係をご確認ください。

 外郭は、「G」の部分で狭まり、攻城兵の移動を制約します。

*徳川家康は、婚姻政策で大名たちを自陣営へ引き込みました。

 また、反家康派の石田三成を五奉行から放逐すると、同じく反家康派の上杉景勝に難癖を付け、上杉討伐の兵を催しました。


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 外郭「G」から、中城へ至る通路です。

 「F」からの横矢がかかっているのが見てとれます。

*上杉景勝は、家康派の軍勢を、上杉と佐竹で挟撃する策戦を立てました。

 佐竹氏は、表面上は家康に協力する姿勢を示しながら、家康との戦闘準備に入りました。


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 通路を中城側から振り返りました。

*真壁城は、徳川領と佐竹領の境界に位置していました。

 この時、真壁城は対徳川の最前線として大規模な改修が施されたと推察されています。

 真壁城の現状はこの時に形成されたようです。

 石高4~5万の真壁氏単独でこれだけの普請は無理です。

 佐竹家から多くの家臣が派遣され、普請にあたったと推察されます。


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 中城と「E郭」は空堀で隔てられています。

 幅が広いですね。

*新人物往来社「常陸・秋田佐竹一族」によりますと・・・

 徳川家康は、小山に着陣すると佐竹義宣へ使者を発し、命令しました。

 「結城、伊達、最上らと協力して上杉を攻めよ!

  上杉滅亡のあかつきには、上杉領を貴兄に進呈しよう。

  ついては、人質を出すように。」


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 堀底を西へ進んでいます。

 堀は屈曲し、横矢攻撃を仕掛けることができるように工夫されています。

*佐竹義宣の返事は・・・

 「私は、母、妻、子を大阪の豊臣秀頼様に差し出しております。

  家康殿は、秀頼様の代理として出陣されてると聞いております。

  ですので、重ねての人質をお出しするのは腑に落ちません。

  しかし、秀頼さまの代理の家康様と共に上杉と戦います。

  当家は上杉と国境を接しておりますので、国境近い赤館城で上杉の侵攻に備えます。

  なので、小山へは参陣できません。」


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 空堀派、「C」の水堀とつながっています。

*家康は、上杉、佐竹と事を構えず、西国へ向かいました。

 そして、関ヶ原の戦いで石田三成派の西軍を撃破しました。


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 「C」の水堀は、二郭東の東側まで続いています。

 水草で見えませんが、水堀です。

 「真壁城第6話・浅野長政入城」へ続く・・・

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