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真壁城(2) ~ 真壁朝幹置文

 真壁城の第2話です。

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 外郭の東端には、神社が鎮座しています。

*さて、一旦没落した真壁氏を再生したのが、13代当主真壁朝幹であるとされています。

真壁城
 地形としては、東側が高くなっています。

 攻める側からすると、高い東側から攻め下るのが、理にかなっています。

 そこで守る側も、東側の土塁を大きくして防御力を増強させています。

*真壁朝幹は、真壁家の所領を回復し、真壁中興の祖と呼ばれたということです。

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 その土塁です。

*真壁朝幹は、自らの死にあたって、子や、親族衆、家臣へ向けて遺言書を残しました。

 その遺言書は現存しており「真壁朝幹置文」と呼ばれています。


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 少々アングルを変えて・・・

 土塁の中央部で土塁が高く、その両脇で、土塁が徐々に低くなっています。

*置文には・・・

 「兄弟が力を合わせて、家を守っていくこと」

 「要害(城)を構え、油断なく防備を調えること」が記されているそうです。


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 外郭の解説版です。

 発掘調査の結果、方形館が二つ発見されたということです。

*中城でお会いした、真壁城址公園を管理されている方は、この方形館を真壁朝幹の頃のものではないかとおっしゃっていました。

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 方形館の遺構は、埋め戻されているようです。

 推測して、白線で示してみました。

*幕府、公方、関東管領の権威が低下し、その裁定に期待できなくなってきた時代。

 自分たちの家は、自分たちで守るしかないということを真壁朝幹は伝えたかったのでしょうか?


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 外郭北東方向の「小口い」へ至る土橋状の地形があります。

 写真では「小口あ」になっていしまっていますね。申し訳ありません。

*真壁朝幹が亡くなったのは、1480年であるということです。

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 土橋の上から、東南方向の堀を撮影しました。

 「真壁城第3話・こん棒の鬼道無」へ続く・・・

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