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小田城(3) ~ 最弱天庵・謙信に油断

小田城の第3話です。

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 南馬出への、東からの進入路は「土橋」となっています。

*戦国時代、小田家の当主は小田氏治(おだうじはる)でした。

 小田氏治は後に出家して、小田天庵(おだてんあん)と名乗りました。


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 「土橋」を南側から撮影しました。

 土橋に対して、本郭からの銃撃が有効であるのが見て取れます。

*このレポートでは、小田天庵でとおします。

 さて、小田天庵ですが、近年「弱すぎるお殿さま」として、人気が急上昇しています。

 資料の読み方にもよりますが、生涯で20回近く戦に敗れています。


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 「う」に入ると、南館と「え」を隔てる堀が観察できます。

*戦国時代に入り、上杉謙信が初めて関東に侵攻すると、北関東の武将たちは、こぞって謙信のもとへと馳せ参じました。

 小田天庵もその一人です。

 ところが、謙信が北条氏の小田原城を落とせずに、越後へ帰国してしまいました。

 小田天庵は、謙信を見限り、北条氏の配下となりました。


小田城
 位置関係をお確かめ下さい。

*2年後、謙信は再び関東へ侵攻すると、上野前橋城で年を越しました。

 「関東古戦録」によりますと・・・

 前橋城には、謙信派の大名が続々と集結しました。

 佐竹、多賀谷、益子、真壁、笠間、茂木、久下田等は謙信へ言上しました。

 「近年、小田家の武名は衰えたとはいえ、鎌倉以来の名望は残り、譜代の家臣にもひとかどの者が多くいます。

 謙信公の御出馬で小田家を滅ぼして下されば、我らは永遠に上杉家に奉公いたします。」

 謙信は了承すると、すぐに兵を進めました。


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 アングルを東へ向けました。

 「う」と「え」を隔てる堀が、直線的に伸びています。

 奥にあるのが志田郭です。

*小田方は、油断しており、「まさか? こんな早くに?」と驚きました。
 (不敗の軍神謙信のもとへ与力大名が大集結しているのに、何で油断していられるのでしょう?)
 
 天庵は、「待って戦ったのでは不利」と小田城を出て、上杉派の軍勢を迎え撃ちました。
 (敵の方がスゴク多いのだから野戦は不利でしょう。籠城が常道でしょう。)  


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 今度は反対側、志田郭から・・・・

*案の定、小田勢は敗れ、天庵は小田城に逃げ帰りました。

 謙信は5、6日間兵を入れ替え、入れ替え攻め続けました。

 天庵は自害するほどまでに、進退がきわまりました。


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 東側から、本郭と「う」を隔てる堀を撮影しました。

*その時、家臣の信太頼範が言いました・・

 「この度の戦いは急に始まったので、参陣が間に合わなかった味方が大勢います。

  その者たちと、次の戦いに運をかけるべきです。」

  天庵は言に従い、小田城を後にしました。

  信太頼範は、城を枕に討死をしました。

  これなどは、まだ、かっこいい負け方の部類でしょう。


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 今度は、「B」の櫓台の上から「う」の郭を見下ろしました。

 櫓台から「う」への射撃がゆうこうであることがみてとれます。

 「小田城第4話・大晦日宴会で落城」へ続く・・・

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