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小田城(2) ~ 神皇正統記執筆

 小田城の第2話です。

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 南馬出西側の木橋です。

 前話の写真と角度が異なっています。

*北畠親房は、船団を組んで、伊勢港を出港しました。

 北畠氏の拠点がある現在の東北地方を目指していたとされています。


*ところが、船団は暴風雨に見舞われ・・・

 舟は散り散りに・・・ 沈没した船も多かったようです。


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 今度は木橋を正面から・・・

*北畠親房は、現在の茨城県に流れ着き、小田治久を頼りました。

 小田治久は、北畠親房を小田城に迎え入れました。


*北畠親房は、小田城に入ると東国の南朝派に激を飛ばしました。

 そして、南朝の正統性を宣伝するための文書「神皇正統記」を執筆しました。


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 今度は本郭土塁の中腹から・・・

 小口よりも木橋側に土塁が張り出していて、木橋へ横矢をかけることができるようになっています。

 勿論、本丸土塁上からも銃撃できます。

*政治と軍事は分けなくてはいけない。

 政治は、天皇と公家がつかさどるべきだ。

 正当な天皇は南朝の後醍醐天皇だ。

 ・・・というような内容であったようです。


小田城
 南小馬出から、南館へ進入した攻城兵は「い」のまわりをぐるりと迂回させられて、南馬出に至る構造です。

 当然、「あ」から城兵が迎撃に駆け付けます。

*軍力で領地を奪い合う武士にとっては・・・

 何言ってんだ?

 力あるものが政治をし、領国を治めるのが当たり前だ。

 ・・・と言う感じで、あまり心に響かない内容だったことでしょう。


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 南馬出に入りました。

 復元土塁に囲まれ、土塁上には柵が配され、戦国ムードを盛り上げています。

*神皇正統記が脚光を浴びたのは、明治維新の後のようです。

 江戸幕府を倒した維新政府は、天皇を奉じることにより、クーデターを正当化する必要がありました。

 天皇の政治を守ろうとした南朝派の人物を、国策として英雄化することも行われました。


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 あちゃ~! 現地表示は南西馬出になっていますね。

 もう、写真に「南馬出」と書きこんでしまっていて修正はききません。

 「南馬出」でレポートを続けさせていただきます。

*さて、話を元に戻しますね。

 北朝側も手をこまねいていたわけではありません。

 中央から有力武将高師冬を関東へ派遣しました。


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 南馬出から、本郭へ至る木橋も復元されています。

 階段を登った先に、立ち入り禁止の表示がありましたので、従いました。

 本郭は整備途中のようです。

*南朝勢力は次第に追い込まれてきました。

 小田治久は、何と北朝側に寝返りました。

 北畠親房は小田城を出て、関城に入りましたが、やがて、吉野へ逃げ帰りました。

 ( 関城のレポート ⇒ 関城① 関城② 関城③ )


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 階段を登った先から見下ろした南馬出の東側半分です。

*小田家は、裏切りの汚名を着ながらも、家を存続させることに成功しました。

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 更にアングルを東側へ振ると、「B」の櫓台が見えます。

 「小田城第3話・最弱天庵、謙信に油断」へ続く・・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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