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小田城(1) ~ 常陸守護

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成27年7月4日、お城仲間のMさんと小田城に行って参りました。

小田アク

 茨城県つくば市小田にあります。

 発掘調査と復元工事が進んでいるという情報を得て、7年ぶりに訪問いたしました。

小田城
 古図面、航空写真、地上観察を織り交ぜて、イメージ図を作成しました。

 名前の判らない郭は勝手に名付けました。

*小田城は、小田氏の城です。

 小田氏は、源頼朝に従って闘い、鎌倉幕府成立に貢献した為、この地を与えられました。


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 南側は、平城の弱みを克服するため、郭を重層的に配置しています。

*小田知家の頃には、常陸守護に任じられました。

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 南小馬出の、南側の堀です。

*1332年、後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐を企図しますが、露見し、隠岐島へ流されました。

 同じく、倒幕計画に参加していた万里小路藤房も常陸へ流罪となり、小田治久に預けられました。

 後醍醐天皇に近い人物とかかわりをもったことが、後に小田家衰退の遠因となっていきます。


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 南小馬出の西側の堀です。

*翌年、後醍醐天皇は隠岐島を脱出しました。

 新田義貞や足利尊氏の活躍もあり、鎌倉幕府は滅亡しました。

 後醍醐天皇による建武の新政が開始されます。


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 南小馬出と、南館を隔てる堀です。

 往時はもっと深く、水掘であったようです。

*しかし、間もなく足利尊氏が離反し、建武の新政は崩壊します。

 足利尊氏は、京都に幕府を開き、独自に天皇を擁立しました。北朝です。

 後醍醐天皇は吉野に逃れ、全国の後醍醐派に激を飛ばします。南朝です。


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 南馬出が見えてきました。

 土塁が復元され、塁壁が高くなっています。

*日本全国で、北朝派と南朝派が争い続ける「南北朝時代」の始まりです。

 小田氏は、後醍醐天皇に近い人物を預かっていた縁で南朝派となりました。


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 南馬出と、南館を隔てる堀を、東側から撮影しました。

*周辺の大名の中にも南朝派はおりました。

 新田氏、結城氏、宇都宮氏などが南朝派で、群馬、栃木、茨城に勢力を張っていました。


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 今度は南馬出の西側の堀です。

 この奥まで進むと・・・

*後醍醐天皇は、東国南朝派テコ入れのために、公卿の北畠親房を派遣することにしました。

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 南馬出への木橋が復元されています。

 「小田城第2話・神皇正統記執筆」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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