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土浦城(4) ~ 武田旧臣幕末まで

 土浦城の最終話です。

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 本丸の西奥には、白亜の建物があります。

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 西櫓です。

 平成四年に、市民の浄財により再建されたということです。

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 西櫓の反対側には、東櫓があります。

*江戸時代の中期から、幕末まで土浦城主を務めたのは、土屋氏でした。

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 東櫓の中は、資料館になっています。

*土屋氏は、武田家臣でした。

 土屋昌続(昌次)は、長篠の戦いで奮戦した後、討ち死にしました。


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 入館料は、105円です。

*武田家滅亡の際、多くの家臣が勝頼を見限る中、土屋昌恒は勝頼を最後まで守り、天目山にて討死しました。

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 木造再建は、好感が持てますね。

*忠義に厚い土屋の血筋が捨て置かれることを惜しんだ徳川家康は、土屋昌恒の子、土屋忠直を久留里城主に取り立てました。

 その後、土屋氏は土浦に配転となりました。


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 土屋昌次の武勇を伝える資料が掲示されています。

*土屋昌恒は、駿河衆岡部家の養子となっていました。

 (岡部家は、武田配下になるにあたり、土屋性を与えられていました。)


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 他にも、土浦関係の掲示がたくさんあります。

*家康には、駿河衆関係者を取り立てる事例が他にもありますね。

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 本丸東側の土塁でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」


 余談ですが、土浦城は本丸が亀の形に似ていることから、「亀城」とも呼ばれています。

 江戸時代、土浦藩主が地元の醤油生産者「柴沼醤油」へ、商標への亀甲印の使用を認めました。

 土浦は、「亀甲印」発祥の地でもあるということです。(by アドマチック天国土浦編)

 有名なキッコーマンも元をたどると、土浦城にたどり着くのですね。
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Comment
南北戦争の砦ですか?
Butch様 御来訪ありがとうございます。
 お仕事でアメリカに行かれたとのこと、大変でしたね。
 南北戦争時の砦をご覧になりましたか?
 昔々、テレビの西部劇で出てきたのは、インディアンとの戦いの砦でした・・・
 南北戦争の砦は、銃器の発達で進化しているんでしょうね。
 興味津津です。
 それでは、また!
お邪魔します。
お邪魔します、夏期にも各方面にattackされていて・・・頭が下がります。
土浦城は以前まで櫓門両袖の石垣が北関東では貴重な遺構であるとよく紹介されていましたが・・・見えなくなりましたね?
今年の夏はしばらく仕事でアメリカのヴァージニアに行ってました、休日を利用し周辺の?(アメリカの距離感です)独立戦争前後~南北戦争時に使用された fort william henry,fort mchenry,fort monroなど要塞、砦を十箇所ほど見てきました。
こちらもなかなか奥深いですよ、勉強しなければ!  
それでは またお邪魔します失礼いたします
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