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白井城(6) ~ 武田家の傘下へ

 白井城の第6話です。

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 三ノ丸から、二の丸へ至る土橋です。

*1578年、越後の虎、不敗の軍神と恐れられた上杉謙信が急逝しました。

 上杉家では、謙信の跡目争い御館の乱が発生し、近隣の大名を巻き込む事態となりました。

 上杉景勝&武田勝頼 VS 上杉景虎&北条氏政 の図式で攻防が続きました。


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 三ノ丸と、二の丸を隔てる堀の東側です。

*白井城の長尾憲景は、上杉景虎&北条氏政派に属し、白井城は「北条勢による越後遠征の兵站基地」としての役割を果たすこととなりました。

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 西側の堀です。

*1579年、上杉景虎は自刃し、 御館の乱は上杉景勝&武田勝頼の勝利となりました。

 上杉景勝は、武田勝頼へ上野譲渡を約束していました。


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 堀の西端に来ました。

 写真に写っているネットは、吾妻川対岸のゴルフ練習場のものです。

*武田勝頼は、真田昌幸に上野制圧を命じました。

 真田昌幸は、沼田城を手に入れると、白井城の長尾憲景と、前橋城の北条高広へ調略の手を伸ばします。


白井城

*前橋城が真田に加われば、白井城は沼田城と前橋城からの挟み撃ちとなり、滅亡は必至です。

 長尾憲景は、自家存続の為真田昌幸を通じて、武田家の配下となりました。


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 二の丸から、本丸方向を撮影しました。

*上野戦線では、攻勢を強める武田家でしたが、遠江戦線では、織田・徳川連合軍に押され続けていました。

 1582年、織田・徳川連合軍が本格的に侵攻すると、武田家はあっけなく滅亡してしまいました。


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 本丸への土橋です。

 弓なりに湾曲しています。

*織田信長は、武田家の旧領のうちの「上野と信州の佐久・小県」を重臣の滝川一益へ与えました。

 その上で、滝川一益を「関東御警護」に任じたのでした。


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 西側の堀です。

 「白井城第7話・北条家の配下へ」へ続く・・・

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