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白井城(3) ~ 越後上杉家接収

 白井城の第3話です。

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 白井城には外郭があり、その北端ラインに、この源空寺が位置しているということです。

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 源空寺の北側に堀や土塁の痕跡を求めました・・・

 道路の右側に石垣がありますが、近世ものっぽいですね・・・

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 本城域の北端に来ました。

 北郭の北側の堀の跡が、僅かの窪みとして残っています。

*1473年、管領家を家宰として差配し続けてきた白井長尾家の長尾景信が無くなりました。

白井城
 クチバシ状の台地を順次掘り切って敵に備えています。

 航空写真をベースに起しましたが、ぱっと見のわかりやすさを追求するため、堀や土塁にデフォルメをかけています。

*13歳で管領に就任し、何もわからぬまま、長尾景信の差配に任せていた上杉顕定も、この頃には20歳になっていました。

 顕定はこう思ったはずいです・・・

 「これを機に、私が自分の考えで管領家を差配したい。」


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 金毘羅郭と北郭の間の堀は、比較的残存しています。

 上幅で8メートル程度でしょうか?

*「白井長尾家の力は強すぎる。」

 「白井長尾家の力をソガナケレバ、私が管領家の実権を握ることはできない。」


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 北郭に入りました。

 北郭には櫓台が付属しており、櫓台は大手口を守る、重要な役割を果たしていたようです。

*上杉家内の認識は、「家裁であった長尾景信の嫡子長尾景春が、家宰に任じられるだろう」というものでした。

 しかし、管領顕定は惣社長尾家の長尾忠景を家宰に任じました。


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 城外「A」から櫓台を撮影しました。

 大手道は、櫓台に正面から付きあたり、櫓台のまわりをクルリと半周させられています。

 その間、櫓の上からの攻撃を受け続けることとなります。

*おさまらないのは長尾景春です。当然自分が家宰職に任じられると信じて疑わなかったのですから;;;

 長尾景春はこの人事に不満を募らせ、武州鉢形城に挙兵しました。


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 櫓台を見上げました。

*長尾景春は、古河公方家、扇谷上杉家、北条家を頼り、上杉顕定への抵抗を続けました。

 その間、白井城は管領上杉顕定の実家である越後上杉氏に接収されていたようです。


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 櫓台には、大正時代に城山不動尊が建立されたということです。

*長尾景春の嫡子長尾景英は、管領家に対して臣下の礼を取りました。

 長尾景春が逝去し、ほとぼりの冷めたころ、長尾景英は白井城への復帰を許されたようです。

 しかし、その勢力と権力は大きく低下していたと思われます。


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 不動尊のお堂です。

 「白井城第4話・関東幕注文筆頭」へ続く・・・

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