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長源寺 ~ 真田幸隆雄伏伝説

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成27年5月27日、長源寺に行って参りました。

長源寺アク
 群馬県安中市上後閑にあります。

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 後閑川をさかのぼっていくと長源寺への橋がかかっています。

*長源寺には、真田幸隆雄伏伝説があり、真田マニアの私は以前から訪問したいと思っていました。

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 橋の上から後閑川を撮影しました。

*1541年、武田氏と村上氏と諏訪氏が共同して、小県の海野氏を攻めました。

 海野氏は大敗を喫し、領地を失いました。

 海野氏配下であった真田幸隆も領地を失い、関東管領家を頼って上野へ逃れました。

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 橋を渡りました。

*真田幸隆は、上野各地を転々としながら領地回復の機会が訪れるのを待ちわびていました。

 あるとき、長源寺は信濃依田氏とかかわりのある寺であると教えてくれる人がいて、真田幸隆は長源寺を訪問しました。

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*当時の長源寺の住職は、伝為晃運和尚でした。

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 石段を登ると山門がありました。

*伝為晃運和尚は、真田幸隆を厚くもてなしてくれました。

 各地で居候扱いをされ、肩身の狭い思いをしてきた真田幸隆は喜び、長逗留しました。

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 解説版があります。

 1441年に信濃御嶽城主依田氏が上州へ侵攻し後閑城を築城した。依田氏は1443年に長源寺を創建したとあります。

*1441年と言えば、結城氏が鎌倉公方の遺児を奉じて、挙兵した年ですね。

 信州佐久の大井氏が鎌倉公方の遺児を結城城へ届けたとされています。

 依田氏が大井氏配下として、関東に派兵された可能性もありますね。

 それとも鎮圧軍として、結城攻めに加わり、戦功でこの地を賜ったのでしょうか?

 御嶽城と言えは、1570年に武田信玄が武蔵御嶽城を攻め落とし、依田信蕃に在番を命じています。

 この件と、後に混同されたのでしょうか?

sIMG_1368.jpg
 本堂へは更に石段を登らなくてはなりません。

 まるで城郭の様な造りですね。

*真田幸隆と伝為晃運和尚の関係に話を戻しましょう。

 真田幸隆は、ある日和尚に言いました。

 「俺が本領を回復したら、和尚を大伽藍の住職にしてやる!」

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 本堂です。

*その後、関東管領家は川越の戦で北条氏に敗れ、その権威を失墜させてしまいました。

 真田幸隆は思いました。

 「このまま関東管領家にすがっていては、旧領回復は夢のまた夢・・・」

 真田幸隆は、一転、武田信玄に仕えました。

 真田幸隆はやがて、小県侵攻戦に戦功を挙げ、旧領を回復するとともに、旧領の何十倍の所領を得ることが出来ました。

 真田幸隆は、真田郷に長谷寺を建立すると、伝為晃運和尚を招き、約束を果たしたのでした。

 以上が、真田幸隆伝説です。

 あくまでも伝説ですから・・・ 歴史ロマンと言うことで。

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