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田口城(2) ~ 善光寺平警護

 田口城の第2話です。

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 「H」から「I」の塁壁を見上げました。

*佐久の豪族たちが皆、信玄に背いたわけではありませんでした。

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 「I」に登りました。

*南佐久、 「相木城」 城主相木氏は、大井氏の重臣でした。

 相木氏は、早くから信玄に内通していたと甲陽軍艦に記されています。


田口城
*田口城周辺の戦いでも、相木氏は信玄側にあったと思われます。

 その後、田口城は相木氏に与えられたようです。


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 「J」から二郭方向を見上げています。

 二郭の手前にある保塁の塁壁ですね。

*相木氏は、信玄の小県侵攻戦、善光寺平侵攻戦に従軍し、武田軍団の中で地位を高めていきました。

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 「L」に降り立ちました。

*相木昌朝は、善光寺の近くに屋敷地を与えられました。

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 「L」から「K」を見上げました。

*相木昌朝は、信玄から善光平の治安維持官に任命されました。

 信濃における信仰の最高権威の場所の警護ですから、大変な名誉ですね。


sIMG_1138.jpg
 北側から「M」の平場を撮影しました。

 防御性の無いだだっ広い空間です。

 家臣団の屋敷地か、馬場があったのでしょうか?

*現在も長野市内には「相木通り」の地名が残っているということです。

sIMG_1145.jpg
 「M」から「N」を見上げました。

 土留めの石積みが残っています。

 「田口城第3話・天正壬午の人質」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
Re: スッキリしない遺構ですよね~
Butch様 ご来訪有り難うございます。

 田口城に関する情報、有り難うございます。
 訪問した際、最初は凄い!と感じて、嬉々としてスケッチを始めたのですが・・・
 次第に、これって城なの? という疑問が頭をもたげてきました。
 写真の枚数は、全10話になるほど撮影したのですが・・・
 疑問が払拭できず、テンションが下がり、3話のみとしてしまいました。
 現状の地形が耕作によるものであると伺い、がっかりしたというよりは、腑に落ちたという気持ちです。
 ブログに提供頂いた情報を追記させていただきました。

 さて、丸子城ですが・・・
 Butch様のお持ちの疑問を私も持っておりまして、今回の踏査で更に疑問が大きくなりました。
 厳重な横堀を配している方向は狭い谷があるだけで、街道も何もないのです。
 一方、東海道方面には横堀がないのです。
 東海道を進んできた攻城兵が真っ先に取り付くであろう、南方向に派生する長尾根には、堀切すらなく、簡単に本郭の下に到達できます。
 大いなる矛盾です。
 帰ってから、地図とにらめっこをして、仮説を立てつつあるところです。
 レポートをきっかけに丸子城論争が起きると楽しいですね。
 派生する尾根に4つの小砦が配置されていることを今回、知りました。
 この小砦達が何か鍵を握っているかもしれません。
 冬に小砦にトライしてみたいと思います。
スッキリしない遺構ですよね~
お邪魔します、ここは昔々20世紀に龍岡城を見るために徒歩で登ったのですが・・・
曖昧な造作、緩い加工に??で下山後 麓の寺近くの商店で数人の御老人につかまり色々な御話を延々聞くことができたのですが(苦笑) その方達によると寺領の土地以外は自分達が全部開墾、造成し石も運んで積んだとの事で すっかり白けてしまった思い出があります、佐久には何かおかしい臭いのする物件が結構ありますよね(佐久に限りませんね)

丸子城のレポートはされていなかったのですね、ため息の出る最高の物件で何度も訪れているのですが、新しい見解、解釈 楽しみです、自分はどうも攻口に対する遺構の展開が?で(みる目が無いのか・・・)是非とも五遁様に御教授願いたいところです。
それでは失礼いたします。
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