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田口城(1) ~ 恭順と叛逆

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成27年5月20日、田口城に行って参りました。

龍岡アク

 長野県佐久市田口にあります。

sIMG_1212.jpg
 県道120号線の脇に、「林道湯川線起点」の看板があります。

 普通車で「多少こすってもいいや」という方は進むことができます。

 「こするのは絶対に嫌だ」という方や、大きめの車の方は進めません。

 私の愛車はもう傷だらけなので、愛車で本郭の下まで参りました。

sIMG_1179.jpg
 駐車場は、本郭背後の堀切を埋めて設置されています。

 本郭を最終回にしたい私は、西側の尾根の先端からレポートを開始いたします。

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 尾根の先端から岩壁を見下ろしました。

 高さは10メートル以上ありそうです。

田口城
 田口城は、西から南にかけて岩壁に守られています。

*田口城は、土豪田口氏により築城されたと考えられています。

 佐久には、堀や土塁が少なく、段々だけで、やたら広い城がいくつかあります。

 田口城はこのパターンですね。

sIMG_1111.jpg
 「A」から「B」を見上げました。

*田口氏は戦国時代、武田信玄に恭順しました。

 しかし、武田信玄が上田原の戦いで村上義清に敗れると、田口氏は周囲の豪族と共に、信玄対して反逆の烽火を上げました。


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 「B」郭の手前には、狭い段が付属しています。

*妙法寺記によりますと・・・

 8月18日、信玄は、田口城鎮圧のため小山田出羽守を派遣しました。


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 「C」郭です。

*小山田出羽守たちの軍勢は、反乱軍に包囲され、「籠の鳥」のような状態になってしまいました。

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 「D」と「E」の段差です。

*小山田出羽守はなんとか持ちこたえていました。

sIMG_1121.jpg
 「E」郭南東の出っ張り部分です。

*9月12日には、信玄が援軍に駆け付け、小山田出羽守とともに、反乱軍に攻めかかりました。

sIMG_1122.jpg
 「G」と「H」の段々になっている部分です。

 かなり広いです。

*佐久の大将たちはことごとく討ち取られ、その首は5千にも及びました。

 また、生け捕られた者たちは数え切れないほどでした。

 田口氏は、この時滅亡したと考えられています。


 「田口城第2話・善光平警護」へ続く・・・


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Comment
Re: ご支援感謝致します
らんまる様 ご来訪ありがとうございます。

 嵩山城の写真付きツイート、楽しませていただきました。
 私はあの山頂で不思議な音を聞きました。武蔵富岡さんも聞かれたとのことです。
 多くの死者が出た場所ですから・・・
 そんなことを思い出し、お声掛けさせていただきました。
 お返事を頂き、嬉しかったです。

 依田さんの最後の正月は、この田口城ですか?
 田口城主となったとはいえ、転戦に次ぐ転戦で、田口城に入る余裕が無かったのではと勝手に想像しておりました。
 依田さんが、田口城で正月を迎えたと伺い、少し、救われた気持ちになりました。
 依田さんは、バランスの悪さがかえって人間的魅力になっていると個人的に感じております。
 私も、相当バランスが悪い人間なので、そう思いたいと言った方が正しいかもしれません。
 依田さんを主人公にした小説やドラマができないかなあ~と思う今日この頃です。
 伊東潤さんあたりが書いてくれないかな~
ご支援感謝致します
しょうーもない上野国遠征のツイートまで読んでいただきRTまでの心遣い感謝いたします。

田口城の最期の城主は依田信蕃。天正壬午の乱における家康の右腕として信濃の佐久平定に尽力し、岩尾城であっけない最期となりました。彼の最期の正月はここ田口城とされ、つかの間の大名気分だったのでしょうか。

それでも三沢小屋で大道寺軍相手にゲリラ戦を展開し牛馬を殺して飢えをしのぎ孤軍奮闘した信蕃は小生の中では英雄扱いです。昌幸のような謀略があれば・・と比較する方もいらっしゃいますが、愚直である事が彼の最大の魅力でしょう。城攻めのヘタクソさはガッカリですが・・・(笑)
Re: 記事に影響を受けて
丸馬出様 ご来訪ありがとうございます。

 幸隆が普請したとされるのが、岩櫃城ですね。
 昌幸が普請にあたったのが新府城ですね。
 上田城は徳川が普請したので除外するとして、この2城ですね。
 2城に共通しているのは、丸馬出があるということですね。
 岩櫃城南方にある山の固屋城にも半円の保塁がありますね。
 やはり、真田は、武田の丸馬出しを引き継いでいると考えてよさそうですね。

記事に影響を受けて
武蔵様の記事に触発されて
岩櫃城の縄張りを解読してみました。
よろしければ、
ブログを見ていただければ幸いです。
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