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南牧熊倉城(5) ~ 関守となる

 熊倉城の最終話です。

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 「G」から本郭を見上げました。

*市河氏は、武田軍団に組み込まれ、各地を転戦しました。

 長篠合戦に従軍し、生きて帰らぬ南牧衆が大勢いたということです。


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 「G」から「H」を見下ろしました。

 恐ろしくタイトな土橋状になっています。

*武田が滅びると、市河氏は北条に忍従しました。

南牧熊倉城
 敵が南郭を制圧しても、「H」で本郭への進入を食い止めることができます。

*北条が滅びると、市河氏は武士の地位を捨てざるをえませんでした。

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 「H」から南郭を見上げました。

*熊倉城はこの時、廃城となったことと思われます。

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 南郭へ登って右へ進むと「J」のあたりがやや広くなっています。

*江戸時代を通して、維持された南牧の関所の関守は市河氏が代々つとめたということです。

 戦国市河氏の本流なのか、支流なのか、手元に資料が無く定かではありません。


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 南郭へ登って左へ行くと「I」ですが、狭くて細長い尾根となっています。

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 「I」の先はこの様に落ち込んでいて、岩尾根となっています。

 少々怖いですが是非行ってみてください。


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 絶景が広がります。

 これは立岩ですね。

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 これは碧岩・・・

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 熊倉東城の後ろ姿です。

 砥沢、下仁田方面への谷道が、熊倉東城のせいで見えませんね。

 つまり、熊倉東城は、下仁田への谷道の監視のために、普請されたのでしょう。

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 熊倉城の北側の尾根も見えます。

 細長い城ですね。

sIMG_0972.jpg
 北西からの、熊倉城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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Comment
Re: 山間地の戦国時代
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 南牧村は、今でこそ限界集落ですが、昭和の初めころまでは大変にぎわった村だったそうです。
 鉄道も自動車も無い時代は、山道を馬車で荷物を運んだんでしょうし、馬を産出する地帯は、
経済的にも潤っていたんでしょうね。
 虚空蔵山城でらんまる様に鍛えて頂いたので、大抵のお城は行ける気がしてしまっています。
 ご指導いただきありがとうございます。
 山城で遭難したら、折角の山城ブームに水をかけてしまいますから、慎重に行動したいと思います。
 熊倉東城背後の岩壁では、ちゃんと断念しました。
 山頂で絶景にお目にかかれると、また、あの景色が見たくなるんですよね・・・。
 
山間地の戦国時代
南牧村の城跡レポートお疲れ様です。

信濃もそうですが、このような山奥の寒村も戦国時代は容赦なく巻き込んでいったのだなあーなんて改めて思います。
そしてこのようなヤバイ立地の山城に憑かれた様に挑む方もいらっしゃるのだと感心しておりますw
小生も人の事はとやかく言えませんが、くれぐれも無理はなさらぬようにお願いします。
城跡からの景色は圧巻ですネ。登山の苦労が救われるのはそこに立ったものだけが味わえる至福の瞬間です。
貴重なレポートありがとうございました。
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