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南牧熊倉城(4) ~ 信玄を呼び込む

 熊倉城の第4話です。

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 「E」に降り立ち、「F」を見上げました。

*戦国時代、上杉謙信が関東を席巻すると、長野業正等多くの上州の武将が謙信の傘下に加わりました。

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 「F」からは熊倉集落を遠望することができます。

*そんな中、国峰城の小幡憲重は、すでに武田信玄に内応していたため、態度を曖昧にしていました。

 長野業正は、国峰城へ攻めよせ、小幡憲重は信玄を頼り、甲斐へ落ち延びました。

 市河氏は、長野業正の支配下に置かれました。


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 「F」の背後はえぐれるような絶壁です。

*武田信玄は、小幡憲重へ佐久に仮領を与えるとともに、南牧の市河氏へ懐柔の手を伸ばしました。

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 「F」から「E」を見下ろしました。

 「E」は熊倉城で最も駐屯しやすい場所となっています。

*長野業正の構想では、武田軍が余地峠を越えると、熊倉城が烽火を上げ、烽火台ネットワークで急を知った、長野勢が南牧へ進み、武田勢を撃退することになっていたことでしょう。

南牧熊倉城
 地形に沿って、若干の削平をしている程度です。

 地形の厳しさがそれ以上の普請を必要とさせなかったのでしょう。

*ところが、実際は・・・

 武田勢が、小幡憲重をともなって余地峠を越えても、熊倉城が烽火を上げることはありませんでした。

 それどころか、市河氏は歓声を持って、武田勢を迎え入れたのでした。


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 本郭を北側から見上げました。

*市河氏は、もともと甲斐の出であるから、武田家に親密感を持っていたから・・・

 市河氏は、小幡憲重と関係が強かったことが理由であるとの説があります。


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 本郭の東側です。

*その後信玄は自ら兵を率いてこの地へ入り、鏑川沿いに兵を進めました。

 小幡憲重は国峰城へ復帰し、武田信玄は西上州を領国化しました。

 その端緒となったのが、ここ熊倉城の「信玄呼び込み」であったのです。


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 本郭の西側です。

 「熊倉城第5話・関守となる」へ続く・・・

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