HOME   »  中世城郭  »  南牧熊倉城(3) ~ 室町期の築城か?

南牧熊倉城(3) ~ 室町期の築城か?

 熊倉城の第3話です。

sIMG_0933.jpg
  「A」から鞍部へ降り立ち・・・

*「南牧谷戦国史」によりますと・・・

 熊倉城は、南牧六人衆筆頭市河氏の持ち城ではないかということです。


sIMG_0934.jpg
 尾根筋を登っていきます。

*市河氏は、南北朝時代、南朝の新田氏について、北朝と闘い、敗れてこの南牧谷へ落ち延び土着したという伝説があるそうです。

sIMG_0935_201505041217535d1.jpg
 やがて「B」の岩壁にぶつかるため・・・・

*市河氏はやがて、力を蓄え、国峰城小幡氏の傘下へ入ったのではないかと推察されているようです。

sIMG_0936.jpg
 右へ迂回します。

*小幡氏は関東管領上杉氏の重臣でしたから、市河氏は関東管領の陣営に組み込まれていたことでしょう。

南牧熊倉城
 スケッチを地形図に落とし込んでから起こしていますが、決して正確ではないと思います。

 あくまでもイメージ図としてご覧ください。

*熊倉城は、その頃、関東管領版図の西端を守る城として普請されたのではないかと「南牧谷戦国史」は綴っています。

sIMG_0937.jpg
 「C」に到達しました。

 登り始めてから1時間が経過していました。

*敵対勢力が余地峠を越えたら、烽火を上げて、関東管領へ危機を知らせることが熊倉城の使命の一つ目。

sIMG_0940.jpg
 「D」の先端まで来ました。

 その先の落ち込みようをご覧ください!

*籠城し、敵を一定期間この場へ拘束し、管領軍の到着まで時間を稼ぐことが、熊倉城の使命の二つ目であったと推察いたします。

sIMG_0941_201505041249199b0.jpg
 「D」から、本郭方向を撮影しました。

 「熊倉城第4話・信玄を呼び込む」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード