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群馬県岩櫃城① ~ 関東三名城

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年4月25日、お城仲間のMさんと岩櫃城に行ってきました。

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 岩櫃城は、群馬県吾妻郡東吾妻町、JR吾妻線群馬原町駅の南西にあります。

 

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 岩櫃城は、メジャーな城なので、表示にしたがって進んでいくと、こんなに広い駐車場があります。

 イメージ図の天狗丸と中城の間です。

 

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 イメージ図を作成しました。凄まじい省略を施しています。描写度10%です。

 

 岩櫃城は、戦国期の交通の要衝に築かれています。上田への道、碓氷峠を経ての軽井沢への道、前橋への道、沼田への道、新潟への道が、この地から伸びています。

 

 「甲陽軍鑑」に、甲斐岩殿城、駿河久能山城とともに、関東三名城と称えられています。

 

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 イメージ図の右側から、東の木戸へ登る道を、見下ろしました。木戸に近づくにつれ、上の郭から攻撃を浴びます。


 定説で「岩櫃城は、吾妻を支配した大野氏が築き、その後斉藤氏が居城した。それを真田幸隆が奪取した。」とされていました。

 一方、吾妻町歴史民俗資料館発行の冊子によると「大野氏、斉藤氏が居城し、真田幸隆が奪取したのは岩下城で、岩櫃城は、岩下城奪取後、真田幸隆が新たに取り立てた」と記されています。


 

image3060827[1]

               東の木戸は、枡形となっています。

 

 歴史資料館冊子によると・・・

 「加沢記」では、真田幸隆が岩櫃城を奪取したと書いてあるが、鎌田文書等他の資料では、岩下城奪取となっている。

 上杉謙信が小田原攻めをした際に、参加した武将達を書き記した「関東幕注文」では、「岩下衆」と記されている。「本拠城名+衆」で、すので、本拠は岩下城であった」とのことです。

 

image1222206[1]

 東の木戸を過ぎると、川平戸と呼ばれる広大な空間があります。写真は天狗丸から見おろした川平戸です。奥の方は霞んで見えませんが、奥まで続いています。

 川平戸は、宿場町であり、城下町でありながら、城内にあります。


 私は、歴史資料館の説を支持します。
○理由1 「一城別郭」ではない
 大野氏、斉藤氏の築いた城はどれも「一城別郭」の思想が貫かれており、城の中に2つの重要拠点を設置し、片方が敵に取られても、もう片方に籠って抵抗を続けることができるよう縄張りされています。
 しかし、岩櫃城に「一城別郭」の縄張りはありません。このことから岩櫃城が大野氏、斉藤氏によるものであると考えるのは、適当ではありません。

 


 

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 天狗丸です。写真奥、東側が一段高くなっています。川平戸へ射撃をし、制圧できる位置にあります。

 

○理由2 規模が違う
 岩櫃城の規模は雄大であり、万の軍勢を籠めることも可能です。斉藤氏、大野氏の動員勢力は、多く見積もっても500程度ですから、岩櫃城の隅々まで兵士を配置することすらできません。
 武田家先方衆筆頭、上州攻略軍団長真田幸隆という立場と経済力、動員兵力がなければ、岩櫃城を有効活用できない。つまり、岩櫃城は、真田幸隆による築城と私も考えます。

image1011591[1]

 天狗丸の最高地点には、神社が建っています。本城域を見上げたショットです。

 

 雨の中、登っちゃいますか?

 

 次回へ続く・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

 > 「群馬の城」
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