FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  山中城(11) ~ 北郭と架橋

山中城(11) ~ 北郭と架橋

 山中城の第11話です。

IMG_9645.jpg
 北郭に入りつつあります。

*前話にて、山中城の城主は松田康長であったと紹介させて頂きました。
(北条家は城代制をとるとが多かったので、城代であったとの説もあります。)

 山中城には、もう一人大物武将が配置されていました。

 北条氏勝です。


IMG_9646.jpg
 北郭に入りました。

*松田康長は、北条家重臣松田家親族衆。

 北条氏勝は、北条家親族衆。つまり、北条氏勝の方が北条家の中では格上です。

 城主に加え、城主より格上の武将が配置されるとは・・・

 北条氏勝の立場は、大将か軍監的なものであったのでしょうか?


山中城c
*北条氏勝の祖父は、北条綱成です。

 今川家家臣福島正成の子であるとされています。

 今川家での跡目争い「花倉の乱」で、福島一族が敗れ、落ち伸びて、北条氏綱に拾われ、その戦闘能力を買われ、氏綱の娘を娶り、北条親族衆となりました。


IMG_9650.jpg
 北郭の一番奥に来ました。

 本郭の奥側に堀が穿たれ、延々と下っています。

*北条綱成軍の旗は、黄色布に黒で八幡の字がしたためられ、「地黄八幡」と呼ばれました。

 「黄地八幡」の旗が迫ると敵は、戦わずして逃げ出したとする伝説があります。


IMG_9673.jpg
 同じ堀を下から見上げました。

*北条綱成は、川越城代として守兵3千で、包囲軍7万を相手に守り抜き、結果として北条軍を勝利に導いたとされています。

IMG_9653.jpg
 上の写真の堀の更に奥側に、もう一本堀があります。

*北条綱成の軍才は、孫の氏勝へは遺伝しなかったようで・・・

 北条と徳川が対峙した天正壬午の乱で、御坂城から突出した氏勝の軍勢は、徳川軍の鳥居元忠に大敗しています。

 鳥居元忠の軍勢は、氏勝の軍勢の5分の1であったとされています。

 この時、北条氏勝の心に、徳川勢への恐怖が刻まれたのではないでしょうか。 


IMG_9652.jpg
 北郭と本郭の間には、架橋があります。

*ここ山中城では・・・

 落城が必至になった時点(西郭と三郭が落ちた時点か?)で、氏勝は自決しようとしたが、周囲に押しとどめられ、城をあとにしたとされています。

 城主松田康長の立場に立つと、北条親族衆の氏勝を道連れにしたとあっては、松田家の立場が悪くなるから、ここで死なすわけにはいかないとの理屈が立ちます。


IMG_9657.jpg
 発掘調査の結果を踏まえ、架橋が復元されたそうです。

 *しかし、真実はいかがでしょうか。

 氏勝が自ら、周囲を振り切って城を脱出した可能性はどうでしょうか?

 いずれにしても、氏勝の離脱により、守兵の戦意は暴落したと推察されます。

 雑兵の中には、持ち場を捨てて、逃げ出す者が続出したのではないでしょうか?


IMG_9665.jpg
 架橋を別角度から撮影しました。

 「山中城第12話・勘兵衛本郭へ」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード