HOME   »  中世城郭  »  山中城(4) ~ 豊臣勢の惨状

山中城(4) ~ 豊臣勢の惨状

 山中城の第4話です。

 IMG_9546.jpg
 山中城専用駐車場に車を停め、国道1号線を渡ると、「山中城石見学用遊歩道」の表示があります。

山中城イメージ図
 「A」の大手馬出から三郭にかけての大半は、宅地化と耕作により破壊されています。

 しかし、幸いなことに大手馬出と「G」の間の二重堀は残存しています。

*「渡辺水庵覚書」によりますと・・・

 岱崎出丸に侵入した渡辺勘兵衛は、城中心部を目指して進みました。

 三郭が見えてきました。


IMG_9548.jpg
 馬出し側の堀です。

*三郭の入口には「門隠し」(通路屈曲により、門を見通せなくする構造か?それとも馬出のことか?)と、「あけしほり」(逆茂木や打ち杭等のバリケードか?)があり、容易に進むことはできませんでした。

IMG_9550.jpg
 「G」側の堀です。

*守兵は、2方向から厳しく鉄砲を討ち続けていました。

 渡辺勘兵衛は、敵の銃撃を避け、敵から見えにくい場所へ、隠れるしかありませんでした。

 中村軍の同僚が勘兵衛の潜む場所へと進んできましたが、そのうちの4人は鉄砲の餌食となり即死してしまいました。


IMG_9552.jpg
 「G」側の堀を今度は反対方向から・・・

 一柳軍は、奥の岱崎出丸の手前下の駐車場のあたりに陣どり、大手馬出へ攻めかかったと推察されています。

*渡辺勘兵衛が、物陰から様子を見ていると、一柳軍が門へ攻めかかりました。

 しかし、鉄砲の射撃の前に次々と倒れ、その数は5~60人にも及びました。


 堀には、死体の山ができていたことでしょう。

IMG_9679.jpg
 大手馬出から、三郭へ入ったあたりに、宋閑寺があります。

*山中城は半日で落城したため、豊臣軍の楽勝であったとの解釈もありますが、実際は、豊臣軍の死傷者は5千名にも及びました。城兵の4千を上回っています。

 秀吉が初戦を華々しく飾りたいと配下の武将をけしかけた無理攻めであったということでしょう。

IMG_9680.jpg
 北条方として、岱崎出丸を守り命を落とした、間宮豊後守の娘が、戦死者を弔うために開基したとのことです。

IMG_9681.jpg
 これが豊臣方として、大手に攻め入り討ち死にした一柳直末のお墓・・・

IMG_9683.jpg
 右側が、山中城主松田康長のお墓・・・

 左側が、副将間宮豊後守等のお墓であるということとです。

 戦が終われば敵も味方も無いというのは、日本らしくていいですね。

 「山中城第5話・徳川軍西櫓へ」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード