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山中城(1) ~ 豊臣軍7万

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成27年1月31日、お城仲間のMさんと山中城に行って参りました。

中山アク

 静岡県三島市山中新田にあります。

 山中城は北条氏の城で、豊臣勢による攻城戦があったことで有名です。

IMG_9684.jpg
 山中城は、現在国道1号線により分断されています。

 国道1号線は往時の街道にほぼ沿っており、街道を取り込み交通を掌握する城でした。

山中城イメージ図
 山中城の創設時期には諸説あります。
 隣国の今川義元が桶狭間の戦いに倒れたのを受け、今川家の不安定化を予想し、今川領から北条の本拠小田原城へ至る街道を押さえる為に、築城されたとする説があります。

 当初は本郭、二郭、三郭の範囲であったものを、豊臣勢の来襲に備え、西郭、岱崎出丸を拡張したということです。

IMG_9724.jpg
 これが国道1号線から少しずれたところにある、旧箱根街道です。

 右上が岱崎出丸となります。

IMG_9720.jpg
 旧箱根街道の解説版です。

*1590年3月3月27日、豊臣秀吉は、山中城西方の長久保城へ入りました。

  3月29日、豊臣軍はこの街道を登り、山中城へ攻めかかりました。

IMG_9721.jpg
 このような狭い街道を豊臣軍7万人が列をなして登ってきたんですね。

*山中城を守る北条兵は、4千であったとされ、圧倒的に不利な状況でした。

 時間稼ぎの為に死んでくれと言われたようなものです。

 すり鉢郭には中村一氏、大手(図A)には一柳直末、西郭には徳川家康が攻めかかったようです。

IMG_9725.jpg
 イメージ図「B」のあたりから、西(図左)側に、脇道が伸びています。

 行ってみましょう!

*中村一氏の家臣に、渡辺勘兵衛了という武将がおり、彼が山中城内へ一番乗りしたということです。

 これよりは、彼がしたためた「渡辺水庵覚書」に沿って、戦況を説明して参ります。


IMG_9726.jpg
 上幅20メートルにも及ぶ巨大な堀があります。

 攻城兵の展開を制限するためのものでしょう。

*すり鉢郭の下にたどり着いた渡辺は、主君中村一氏に対して、防御用の塹壕を構築することを進言し、許可されました。

IMG_9712.jpg
 すり鉢郭の解説版です。

*塹壕を何段にかわたって構築していると、城内から鉄砲を討ちかけられたため、最前線の塹壕の兵は撤退を余儀なくされました。

 「山中城第2話・落城の覚悟」へ続く・・・

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