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川越城(5) ~ 田曲輪掘残存

 川越城の第5話です。

 田郭の東側と南側では、堀の痕跡を観察することが出来ます。

*さて、室町時代。

 関東では、古河公方と山内上杉と扇谷上杉が三つ巴の抗争を数十年にわたり継続させました。


DSCF3513.jpg
 東側の堀です。

 東側の堀と南側の堀はつながっていたはずですが、中央の道路で分断されてしまっています。

*3者は、抗争により疲弊してしまいました。

 その間隙を突いて、台頭してきたのが小田原北条氏です。


DSCF3514.jpg
 南側の堀跡です。

*1524年、北条氏綱は川越城を奪取し、武蔵の大半を領国化しました。

  1541年、北条氏綱が没し、北条氏康が跡を継ぎました。

  川越城を奪取されていた扇谷上杉氏はこれを好機と立ち上がりました。


DSCF3515.jpg
 掘跡を西へ進んでいます。

*扇谷上杉朝定は、山内上杉憲政、古河公方、今川義元と連携し、北条包囲網を形成すると川越城を包囲しました。

 包囲軍の総勢は8万にも達したとされます。


DSCF3517.jpg
 東側を振り返って撮影しました。

 田曲輪は江戸時代に追加普請されたそうです。

 戦国時代は田郭の場所は低湿地であったと推察されます。

*川越城は僅か3千で半年も籠城を継続しました。

 北条氏康はその間に、今川義元へ領地を割譲し、兵を引かせると、川越城の救援に向かいました。


川越城イメージ図
 新郭も江戸時代の追加普請だそうです。

 江戸時代になると本丸は他の郭に囲まれていなければならないという観念が強くなった様ですね。

*北条氏康は、包囲軍へ城兵の命を救う代わりに川越城を明け渡すと弱気の交渉を持ちかけるとともに、小競り合いをしてはわざと敗走することを繰り返し、包囲軍を安心させると、夜襲を仕掛けました。

DSCF3518.jpg
 更に西へ進んでいます。

*安心して眠りについていた包囲軍は一方的な大惨敗となりました。

 以上が、江戸時代の軍記物に記された「川越夜戦」の顛末です。


DSCF3519.jpg
 更に西へ進んでいます。

 白い建物は、浄水場の管理棟の様です。

*軍記物であり、どこまで信用してよいかわかりませんが・・・

 結果として、扇谷上杉氏は滅亡し、古河公方は北条の傀儡へと堕し、山内上杉憲政は上州の小勢力へと衰退しました。
 
 間もなく、上杉憲政は関東を捨てて越後へ落ち伸びています。

 川越城をめぐる戦いが、関東の覇権を決したことは確かなようです。


DSCF3520.jpg
 掘跡は、ここで行き止まりですね。

 「川越城第6話・天神郭」へ続く・・・

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