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群馬県小川城 ~ やりすぎたよそ者

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年4月25日に、お城仲間のMさんと小川城に行ってきました。

 

小川アク

 小川城は、群馬県みなかみ市、上越新幹線上毛高原駅のすぐ東です。

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           国道291号が、小川城の二の丸を貫通しています。

 

 戦国期の小川城主は、小川可遊斎でした。

 

 小川家当主が、跡継ぎ無く、死亡した際、地衆の北氏と南氏が城主の座を争い、どちらが城主となっても、収まらない状況になってしまいました。その時、上方より流れ来ていた可遊斎が、内戦を防ぐ、苦肉の策として城主に推され、小川可遊斎を名乗りました。(ヨソ者がタナボタ)現地解説版では、その頃同地を傘下に治めていた上杉謙信の裁定と記されています。


 そして1578年、上杉謙信が亡くなると、景勝と三郎景虎の跡目争い御館の乱が勃発します。
 乱の影響は上州にも及びました。


 北条勢1万5千は、三郎景虎を援護すべく、沼田を経て、越後に乱入、浦佐城を、攻めますが、敢え無

 く敗退、1579年3月、三郎景虎は自刃、御館の乱は、上杉景勝、武田勝頼の勝利に終わりました。これを受け、小川可遊斎は、武田勝頼家臣の真田昌幸に従います。


 1579年10月、北条氏は、悔し紛れに小川城へ兵を向けましたが、小川可遊斎はこれを撃退しました。(スゴイ!)

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            国道を挟んで反対側には、大きな表示があります。

 

           表示の奥が堀で、その奥が本丸です。行って見ましょう!

 

 1580年1月、小川可遊斎は、真田勢と共に北条方の明徳寺城(小川城南東約2キロ)を奪取します。(マタマタ大活躍!)

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    なかなか深い堀です。「折り」がつけられており、戦国後期の使用を物語っています。

 

 1580年3月、北条勢が小川城を攻めるも可遊斎はこれを撃退。(もはやヒーロー!)


 真田昌幸は孤立した沼田城へ調略の手を伸ばします。沼田城代は、用土信吉でした。


 用土信吉は、埼玉県秩父口の領主藤田家の子でしたが、北条氏に家を乗っ取られ、用土信吉を名乗らなければらない屈辱に甘んじていました。

 

 御舘の乱では北条配下として、景虎方に協力していましたが、景虎は、自刃。

 

 用土信吉は苦悩していました。「藤田家を乗っ取った北条の傘下を続けてそれで良いのか? 北条家は俺の兄を毒殺したように、俺のこともいつか殺すだろう。」


 1580年5月、用土信吉は、真田昌幸の誘いに乗り、沼田城を明け渡します。また、前橋城の北条(キタジョウ:from越後)高広も、真田に通じ、真田の上州計略は順調に進みます。


 

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                本丸は史跡公園として整備されています。

 

 1580年10月(現地解説版説)北条氏は、大軍をもって小川城を攻撃、可遊斎は越後へ逃れます。

(現地解説版では、1580年10月となっていますが・・・ その時期は武田勝頼が直接上州に兵を進め、西~北上州を固め、赤城南麓の大胡城、膳城、山上城も手にいれていますので、沼田より更に奥にある小川城へ、北条が大軍を派遣できるはずがありません。北条が小川城に大軍を派遣したのは、昌幸が沼田城を手に入れる前、つまり、1580年4月頃の誤りだと思われます。)

 

 真田昌幸は、小川城救援に駆けつけましたが、すでに落ちたあとでした。北条は退路を絶たれるのを恐れ撤退しました。

 小川城は真田の手に戻り、城主には北能登守が据えられます。

 

 以下、私の妄想です・・・

 

 ヨソ者のクセに、大ヒーローとなった可遊斎のことをココロヨク思わなかった地衆:北能登守が、真田昌幸に可遊斎の見殺しを進言し、昌幸はそれに応じた・・・

 可遊斎はそのことに気付き、真田ではなく、越後上杉へと落ちていった・・・

 昌幸は、可遊斎が落ちていくのを見届けてから、兵を起こした・・・

 

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 可遊斎は、越後に逃れる前、小川城から見城の柵に移って抵抗したと記されています。上毛高原駅西方約1.5キロの味城山であると推察されます。

 

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   イメージ図を作成しました。利根川の断崖に突き出した場所を利用しています。

 

       二の丸と本丸の間には、木橋が掛けられていたと思われます。

 

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           本丸とささ郭の間に、Mさんが石積みを発見しました。

 

 

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     本丸から南側を見おろしました。垂直なんてものではありません。エグレテいます。

 

       写真では実感しにくいのですが、比高20メートルで登るのは不可能です。

 

              猛将可遊斎のその後は、ようとして知れません。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

 > 「群馬の城」
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