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上山田付城(2) ~ 豊織系の屈曲天国

 上山田付城の第2話です。

IMG_8042.jpg
 三郭南側の堀と土塁だったと思います。

上山田
 「A」から本郭へ向けた通路は屈曲に次ぐ、屈曲です。

 北条の屈曲とはまた一味違う屈曲ですね。

 イメージ図に沢山アルファベットを張り付けて、全7話くらいでお伝えしようと思っていたのですが・・・

IMG_8043.jpg
 「B」から三郭へ侵入する通路です。

 この先、左への屈曲を強いられます。

IMG_8044.jpg
 本郭の土塁です。

 急造の付城なので、土塁の突き固め方が甘かったのでしょうか。

 現状の土塁は低くなっています。

IMG_8045.jpg
 「D」から本郭へ至る屈曲通路です。

 藪でわかりにくくて申し訳ありません。

IMG_8046.jpg
 本郭です。

*ここの守備を任されたのは、前野長康であるとされています。

 前野長康は美濃の土豪で、織田信長が美濃に侵攻したさい秀吉に仕えたようです。

IMG_8047.jpg
 「D」の右側の土塁だったと思います。

*秀吉の配下として、小牧長久手の戦い、賤ヶ岳の戦い、四国攻め、北条征伐に従軍しました。

 その後、前野長康は秀吉の命で、秀吉の養子秀次の家臣となりました。

IMG_8053.jpg
 「I」の下の土塁だったと思います。

 写真は、沢山撮ったのですが、どれも藪で訳のわからないものばかりで・・・

 無念にも2話で完結となりました。


 屈曲天国の魅力を伝えることが出来ず残念です。

*ところが、秀吉に実子秀頼が生まれると、養子秀次は疎まれ、切腹を命じられます。

 前野長康も、秀吉の命で連座切腹となりました。

 晩年の秀吉は暴君だったんですね・・・

IMG_8092_201501010951364a0.jpg
 東からの遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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Comment
知りませんでした・・・
お師匠 御来訪ありがとうございます。

 秩父の要害山城は知りませんでした。
 勉強になります。
 本郭は狭いですね。
 今、千葉の巨大城郭を攻めていますので、地域による築城流儀の
違いに改めて、驚かされます。
 根利道の調べは一向に進みません・・・
要害山城(小鹿野町)
根利道の調べが進みましたか?
最近は武州の山城にはまっています。塩沢城、熊倉城、女部田城、鷹谷砦、などなど。昨日は小鹿野町の要害山城を登ってきました。「城址ほっつき歩き」のサイトで見たのですが、かなりハードな山城と紹介されていたので、覚悟を決めて登ろうと思っていました。ついでに「北武蔵城郭フォーラム」も見たところ、城山の北側にある東電開閉所の裏から登れば容易であることが分かり、早速登った次第です。とても感動しました。
Re: なるほど・・・
Butch様 御来訪ありがとうございます。
 ここのイメージ図は、先人の平面図2枚と自分のスケッチを照らし合わせながら、地形図に落としてから、起し直しました。
 私も全体を把握するのは難しく、スケッチは主要屈曲通路等部分部分となってしまい、それらをつなぎ合わせる際に、先人の図面が大変役に立ちました。
 しかし、先人の図面に納得がいかない部分は、自分のスケッチを優先させています。
 賤ヶ岳城塞群にも同様な遺構があるのですか?
 私は箱根の御所山城を思い出してしまいました。
 ある先人は「敵の忍者による主将暗殺を防ぐために迷路化した」との説を唱えて、本に記載されていますが、どうなんでしょうか?
なるほど・・・
お邪魔します、こういう城でしたか~
自分は縄張り把握が全く出来ず ギブアップ しました、いや~さすがですね! 藪城でも連郭式の城などは何となく縄張りを読み取れるのですが・・・ここを鳥瞰図で描くのはプロ級ですね!
縄張りは虎口部などは賤ヶ岳城塞群と共通するものを感じます。
しかし10倍の兵力をもっても ここまでやるのか?儀式的な物を感じます、それとも戦局が決定的になるまで箱根以西に小飼の兵力を配置しておく戦略もあったのか?
それでは失礼いたします。
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