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土手和田砦(2) ~ 障子掘

 土手和田砦の第2話です。

IMG_8912.jpg
 本郭と「C」郭との間には北条氏が良く持ち入る「障子掘」がありますが、藪で視認しにくくなっています。

土手和田砦
 障子堀がこの砦の主役なので、障子掘を若干デフォルメして描いています。

IMG_8904.jpg
 アップにすると、弱冠雰囲気が伝わるでしょうか?

IMG_8905.jpg
 「H」の部分は、一段低くなっています。

IMG_8916.jpg
 本郭の脇には「L」の腰郭があります。

 「L」の腰郭は次第に細くなっていて、先で途切れます。

IMG_8917.jpg
 一段下には「M」の郭があります。

 「M」を城の中心部へ進むと・・・・

IMG_8921.jpg
 「N」の竪掘があって、行き止まりとなります。

IMG_8918.jpg
 「L」から「K」へ進もうとしても、竪掘「O」が食い込んで、通路が狭まっています。

IMG_8889.jpg
 北側からの遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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Comment
Re: 初期の根利道?
妙義の毛虫様 御来訪ありがとうございます。

 昔の街道と、今の街道は異なっている場合が多いですね。
 昔の主要道と、今の主要道も異なっているようです。
 藤田信吉が、本能寺の変の後、沼田城を奪取しようとして果たせず。
 軍勢を発地に終結させ、越後へ落ちたとされています。
 それを知って、発地から石神峠越えで、水上の石倉館へ移動してみました。
 今ではひなびた道ですが、往時は主要街道であったのではないかと感じました。
 さて、群馬のことは詳しく無いのですが・・・
 謙信は根利道を通って、佐野へ至ったという記述を度々目にします。
 北赤城の根利地区を経由したと思われます。
 一方、石倉~発地~根利~渡良瀬川流域であると捉える視点も捨てがたいですね。
初期の根利道?
上杉軍が初期に上州に侵入した清水峠越えに2つの砦があり、越後側に清水城、水上町粟沢の寺林砦で、ここから玉原を越え発知館の前を通り高平から数坂峠を越え穴原、小麦峠、を越え根利道となります。根利集落は農産物の物流のための宿場で後の砥石もここを経由したと思われますが、個人的には軍事的に守る価値は薄いと思っています。柿崎軍が根利道を通っていますね。発知氏が監視した根利道とは玉原から沼田へ至る発知地区の道ですかね?
Re: 根利道の城について
妙義の毛虫様 御来訪ありがとうございます。
 越後浅貝城から、三国峠を越えて、上野宮野城もしくは沼田城まで、1日で到達出来てしまう上杉軍団ですから、沼田から五覧田もしくは神梅までは、途中の宿泊無く到達出来たと思われますが・・・
 根利集落は往時もあったでしょうから、集落の守り城くらいはあったのではないか?
 あとは、峠を押さえる城もあったのでは?と妄想しております。
 全国各地であらたに城が発見され続けていますので・・・

 根利道に関する情報、ありがとうございます。
 往時の根利道は、現在の道とかなりずれているようですね。
 往時の峠に到達するのは難しそうデスので、せめて、根利宿の守り城を発見できないかと、地形図にしるしをつけています。
 方々にそんなしるしをつけた場所が山ほどあり、何時行けるか不明なのですが・・・
Re: そうなんです!
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 城には、陽の城と、陰の城がありますが、土手和田砦は陰の城ですね。

*平面図では見えない感覚が立体図にしていただくとよく解りますね ⇒
 そうなんですよ!
 平面図を見て「良くわからないな~」「大したことないな~」と感じた
城に実際に行ってみると、良い意味で期待を裏切られることがあります。
 自分が現地で感じた、立体的防御を皆様に少しでもお伝えできればと、
下手を承知で、恥を忍んで、イメージ図を描き続けています。

*天ヶ岳のレポート(ここの遺構は難しいですよね~)どのような切り口でされるのか本当に楽しみです!それではまたよろしくお願いします。⇒
 どんどん、ハードルがあがってしまいます・・・
 もう、レポートは作成済みで、アップの予約にかけている段階です。
 レポートの質は判りませんが、とりあえず、いっぱいお絵かきをしましたので、ご覧いただければ幸いです。
根利道の城について
大変ご無沙汰してます。根利道についてハッキリはしませんが、現在の県道62号線より西側にあった様で、小出屋峠は東群馬変電所の南辺りで最終的には深沢城の近くの城下トンネル(この上は刑場跡)南で国道にぶつかります。この根利道の左右には先ほどの深沢城(阿久沢氏)と上田沢の皿窪城(松嶋氏)の2城だけの様です。五覧田城の北西に当たります。根利道は沼田の方でも穴原よりとなり城等は見当たりません。私の知っている範囲で申し訳ありません。若い時旧道の62号線を走っています。
そうなんです!
度々失礼します、そうなんです!「ここには籠城したくない・・・」イヤーな閉塞感、絶対ヤバそう感を肌でも感じるのです(笑 ) もっとも守備の要は平野部で本城やここも司令塔だったはずですね、 平面図では見えない感覚が立体図にしていただくとよく解りますね、韮山城のレポートは多くの方がされていますが 降伏か?切腹か?まで突っ込まれたレポートは あまり記憶にありませんが、まさに自分も同様に思っていました。
天ヶ岳のレポート(ここの遺構は難しいですよね~)どのような切り口でされるのか本当に楽しみです!それではまたよろしくお願いします。
Re: とても解りやすい図です!
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 イメージ図をおホメ頂きありがとうございます。
 正確さより、ぱっと見のわかりやすさを追求しておりますので「解りやすい」は私にとって、嬉しいお言葉です。
 韮山本城は、敵が二の丸へ達した時点で、もう、逃れようがなく、切腹か? 降伏か?といった感じがありますよね。

 土手和田砦も、障子掘最高!と言いたいところですが・・
 敵兵が南から攻め登り、障子掘の手前の郭たち、特に「J」を制圧した時点で、守兵の撤退路は北しか無く、
北にも敵兵が展開していたら、やはり、切腹か? 降伏か?といった感じですね。

 障子堀は以前、きれいに刈られていたのですね。
 藪草の生命力はスゴイデスネ! 
 「刈られて良かった!」と喜んでいたら、1年後には復活した藪で侵入不能となってしまった城を知っております。
 今回、和田島砦の障子掘に侵入出来ただけで、感謝、感謝です。
 天ヶ岳城塞群のレポートはこれから約2週間続き、その後は包囲付城群へ移り、こちらも2週間近く・・・
 また、いろいろとご指南頂けますと、幸いです。
とても解りやすい図です!
こんにちは、本城域も土手和田砦も何か独特の行き止まり感がありませんか? 前回訪れた際 堀部は綺麗に刈られていましたが、また伸びてしまっていますね(笑) 城址の管理は大変だとつくづく感じます、凸凹では草刈機も使いにくいですよね。
それでは天ヶ岳のレポート期待しています!失礼いたします。
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