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三津新城 ~ 韮山城西方の楯

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年11月22日、お城仲間のMさんと、三津新城に行って参りました。

 静岡県伊豆の国市長瀬、発端丈山から北へ尾根筋を500Mほど下った場所にあります。

IMG_8959.jpg
 韮山城背後の天ヶ岳砦から見た位置関係です。

 アクセス方法は、 「三津城」 をご参照ください。

 三津城から、移動だけで30分ほどでした。

発端配置
 武田勝頼が北条と手切れになると、駿河湾では武田水軍と北条水軍の合戦が度々おこなわれ、武田が優勢であったとされます。

 武田水軍が、内浦湾に上陸し、北条の伊豆最重要拠点「韮山城」へ攻めよせるのを防ぐため、この城塞群が構築されたと推察されています。

 武田軍が、この城塞軍を無視して、韮山城へ攻めよせると、この城塞群に籠った北条兵に退路を断たれてしまいます。

 かといって、この重層的な城塞群を順次陥落させていくには多大な時間を要し、損害も甚大となるのは必定です。

 攻略に手間取っているところに、韮山城から援軍が駆け付ければ、武田軍は敗走するしかなさそうです。

IMG_8790.jpg
 出城からは、急激な下りが続きますが、やがて尾根は平坦になります。

 三津新城の手前です。

 矢印の場所からはこの城の存在意義が視認できます。

IMG_8793.jpg
 眼下には・・・・

 武田兵があそこに上陸した際に、備える位置にあることが実感できます。

IMG_8795_20141221082701b72.jpg
 「D」から見上げた「E」の保塁です。

 城内最高所にあり、櫓台が設置されていたと思われます。

三津新城
 本郭が広く、他の郭は細く、又は狭くなっています。

 他の郭を奪取されても、本郭の優位が揺るがないようにする縄張り思想で、戦国末期のものであると推定されています。

IMG_8804.jpg
 「H」と本郭の間の段差です。

IMG_8805.jpg
 「G」の腰郭です。

IMG_8800.jpg
 「G」の一段下の腰郭です。

 写真は沢山撮影したのですけれど、藪で見栄えのしないものばかりで、ホトンドがお蔵入りです。

IMG_8798.jpg
 本郭です。

 「三津城」のレポートで示した駐車スペースから、三津城を経て、三津新城へ行き、同じルートを引き返して、駐車スペースに戻るのに要した時間は3時間弱でした。

 景色を見ては休み、トロトロとスケッチをしたりしてその時間ですので、健脚の方なら2時間で戻ってこれると思われます。

 午前中にこの4城を踏査し、午後に長浜城と網代山砦、岩尻山砦を踏査すれば、一日で7城踏査でき、濃密な時間を過ごすことが出来ます。

 マニアの皆様にお薦めです!

IMG_8791_20141221081839271.jpg
 三津新城からの富士の絶景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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Comment
Re: そういえば
りゅう様 お返事ありがとうございます。

 塚は旅館か何かの近くにあるんですね。
 私は海側ばかり捜しておりました。
 今度行った時、また、捜してみます。
そういえば
どこかでお伝えしてましたかね…何かの料亭か旅館横だった気がします〜伊豆にこんなに城塞があるなんて。韮山、楽しく拝見してます!ボランティアがいらっしゃるんですね。
八王子城にいたボランティアのお爺様に教えてもらった完全別ルートを思い出しました。
Re: 武田
りゅう様 ご来訪ありがとうございます。

 そうそう、千本浜です。
 りゅう様のお話を聞いて、塚を捜したのですが、発見できませんでした。
 発見できませんでしたが、あの、浜からの眺めは参考ですね。
 また、行きたいと思います。
武田
強かったんですね。沼津に地魚を求めて旅行した際、千本浜公園に海を眺めに行きました。偶然塚を発見し、見に行った所、武田と北条の合戦の際のもので、確か昭和の台風で人骨が出たそうです。かなり若い兵の骨だったそうで、地元なのか遠く相模か甲州から駆り出されたのか、先人の跡に想いを馳せ、合掌しました。
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