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稲荷山城 ~ 景勝の両睨み

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年11月2日、信濃国人衆らんまるさんと、いびすさんのご案内で稲荷山城(千曲市)へ行って参りました。お城仲間のMさんも一緒です。
 らんまるさんは「らんまる攻城戦記」のオーナー、いびすさんは「長野県の歴史を探し求めて」のオーナーです。
稲荷山城は、長野県千曲市大字稲荷山にあります。

稲荷山
 武田の滅亡と、本能寺の変による混乱に乗じて、善光平に進出した上杉景勝は、徳川家康についた真田昌幸と対峙し、同時に、小笠原貞慶との抗争を繰り返します。

 (小笠原貞慶の勢力範囲は、貞慶が稲荷山城を襲撃したとされる時点の瞬間最大を想定)

 また、上杉景勝の配下であった、屋代秀政が徳川に寝返って、荒戸城に籠るといった事態も発生しました。

 当時、善光平の軍事的中心地は海津城でしたが、海津城では最前線の急変に対応できないと、景勝は感じたようです。

 そこで、小笠原の動きと、真田の動きを両睨み出来る場所に稲荷山城を築城しました。

赤沢アク
 稲荷山城の遺構は市街化により、破壊されてしまったようですが、人工的なラインの水路が残っており、そのラインをなぞると、往時の城域が推察できそうです。

 青のラインがそれに当たります。

 水色のラインは天然の川をなぞったものですが、第一防衛ラインとして、考えられていたのではないかと、推察いたします。

 ラインの北西にある小坂城は、稲荷山城第一防衛ラインの一翼を担う城として、重要視されたのではないでしょうか?

IMG_8608.jpg
 上杉景勝が会津に移封となった際、稲荷山城は廃城となりました。

 本丸跡に、代官所や、宿場の本陣が置かれましたた。

 稲荷山宿は江戸時代を通して栄え、明治初期には呉服の取引額が長野一になる等、繁栄を極めました。

 その頃に豪商松木家が、代官所の土地と建物を所有したということです。

IMG_8607.jpg
 立派な門がありますね。

 その後、外国から安い繊維が入るようになり、国内の繊維産業は衰退しました。

 また、鉄道が稲荷山宿から外れたルートに敷設されたことも重なり、稲荷山宿も衰退してしまったということです。

IMG_8609_20141215125912cc6.jpg
 城址碑の写真でお別れです。

 らんまるさん、でいびすさん。ご案内頂き、有り難うございました。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
あついですね
コメントありがとうございます。
最近知ったのですが諸国古城之図のほかに
極秘諸国城図 という書籍があり
松江の博物館サイトで購入できるようです。


Re: これは
馬出様

 ご来訪ありがとうござます。
 今年こそは青森の実家に里帰りをしたいと思っておりましたが、
コロナ禍で自粛です。
 さみしいです。
 今年の山は、ヒルやダニが大変多いとのことで、山城も自粛し
ております。
 せめて、神社仏閣をめぐり、日々健康で過ごせていることに感
謝しております。
 さて、稲荷山城ですが、どうでしょう? 私には何とも・・・
 こんなお返事で、申し訳あrません。
これは
諸国古城之図(WEBで見れます)
の小縣という古図があるのですが
名前は違うけど稲荷山城ではないかと
思うのですが、いかが思われますか
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