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小坂城(5) ~ 大堀切

 小坂城の最終話です。

IMG_8583.jpg
 本郭の手前の「堀切9」は、ひときわ深いです。

 大堀切ですね。

 室町時代は浅かったものが、戦国期以降に深く、深く掘られたのだよ思われます。

小坂城
 先に紹介させて頂いた塩崎城より、規模が大きく、普請量も多く、塁壁も高いですね。

 塩崎城より、小坂城の方が、戦国末期以降重要視され、追加の普請を多く受けたのかもしれませんね。

IMG_8586.jpg
 堀切9の底、東側(図の奥側)です。

IMG_8551.jpg
 本郭の塁壁の途中にたたずむ、でいびすさん。

 斜度のキツサが伝わるでしょうか?

IMG_8552.jpg
 本郭に到達しました。

 100人は籠れそうな広さがあります。

IMG_8553.jpg
 解説版です。

 戦国期、善光平に武田の支配が及ぶと、武田は、小坂城に保科氏を置いて、守りにあたらせた・・・

 武田が滅ぶと、保科氏は上杉景勝に従ったそうです。

 それにしてもこの図面はいい加減ですね・・・

 見どころの深い連続堀切が入ってないし・・・・

IMG_8554.jpg
 朽ちて倒れた標柱に哀愁を感じ、胸がキュン!となるのは、私だけなのでしょうか?

 廃屋なんかにも惹かれますね・・・

IMG_8555.jpg
 本郭の東側です。

 その先の塁壁も・・・

IMG_8584.jpg
 なかなかな角度です。

赤沢アク
 地図を再掲載します。

 安土桃山時代、この地では上杉景勝と、徳川家康(実際に戦ったのはその配下の、小笠原貞慶や真田昌幸)との熾烈な戦いの最前線となりました。

 上杉景勝は、在前線の兵力集中拠点として稲荷山城を築きました。

 小坂城の南を流れる川を水色でなぞってみました。

 この川のラインを稲荷山城の外郭ラインとしてとらえると、小坂城は稲荷山城防衛上重要な役割を担わされたと想像いたします。

*歴史素人の想像ですので、お聞き捨て下さい。

IMG_8606.jpg
 東からの遠景でお別れです。

 らんまるさん、でいびすさん。ご案内ただき有り難うございました。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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