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塩崎城(3) ~ 守護逃走

 塩崎城の最終話です。

 今度は本郭背後、西側からの解説です。

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 堀切2を横から撮影しました。

塩崎城北

*小笠勢約1500名が籠った大塔の古城は、昔、城だった場所で、合戦当時は城でありませんでした。

 つまり、建物も食料の備蓄もありません。

 一万の大軍に囲まれて、食糧補給のあてもありません。


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 堀切2から本郭方向を撮影しました。

 写り込んだMさんのサイズから、その規模を感じ取っていただければ幸いです。

*大塔の古城の小笠原勢を飢えが襲いました。

 このまま飢え死にするよりは、武士として誇りある最期を遂げたい・・・


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 今度は「H」に登り、堀切1と、堀切2を見下ろしました。

*大塔の古城で自害した者もいれば、古城から討って出たも者もいました。

 討って出た小笠原勢は、ことごとく討ち取られてしまいました。


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 「H」から、本郭背後の土塁を撮影しました。

*土豪の大軍の標的は塩崎城に絞られました。

 一万対750・・・ いくら山城に籠っていても何時までも持ちこたえられるものではありません。


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 土塁の脇を通って、本郭へ入りつつあります。

*一方、土豪連合も矛盾を抱えていました。

 小笠原の横暴は阻止したい。

 しかし、幕府がつかわした信濃守護を討ち取ってしまったら、今度は土豪連合が幕府から追討される側になってしまう。

 それは避けたい。


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 本郭です。

*膠着した状態を打開したのは、小笠原の支流で佐久に勢力を張る大井氏でした。

 大井氏は、両者の間に入り、仲裁をしました。


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 本郭の北側の石垣だったと思います。

*仲裁の条件を、結果から想像すると・・・

 小笠原長秀はこの地を去る。家臣の赤沢氏の領地は保全する。

 土豪連合は解散するといったものであったと思われます。

 命からがら京都に逃げ帰った小笠原長秀は、幕府の逆鱗に触れ、守護職を解任されました。

 以上が「大塔合戦」の顛末です。


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*時は下り・・・

 戦国時代には、上杉謙信に対抗するため、武田勢が度々塩崎城を拠点にしたということです。


  東側からの遠景でお別れです。

  らんまるさん、でいびすさん。ご案内ただき有り難うございました。

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