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塩崎城(2) ~ 在地土豪蜂起

 塩崎城の第2話です。

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 登っていくと、本郭の南側に「登り石塁」があります。

 迂回阻止の装置でしょうか?

*北信の土豪たちは連絡を取り合い共に立ち上がることとしました。

塩崎城南
*蜂起したのは・・・

 高梨氏、井上氏、島津氏、村上氏、栗田氏、小田切氏、落合氏、香坂氏、仁科氏、村上氏、祢津氏、海野氏等そうそうたるメンバーでした。

 (ちなみに真田氏は、海野氏に従う小豪族の一人として、記録に残されています。)


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 さて、道を図の中ほどまで戻り、郭を目指して登っていきます。

*反小笠原の軍勢は善光平に集結し、その数は1万を越したといわれております。

 対する小笠原勢は、4千・・・・


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 登った先には、三郭の表示がありました。

*小笠原勢は、善光寺の脇にある横山城に集結していました。

 しかし、横山城は平城で、大軍を相手に戦えるものではありません。


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 三郭から、「段郭群」を見下ろしました。

 土塁もなく、縄張りの工夫もなく、ひたすら段々・・・

 後に小笠原氏の本拠となった林城にも同じような段郭があったことを思い出しました。

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 二郭に入りました。二郭には石垣があります。

 そして、石垣の上の方、本郭手前の斜面は大変なだらかです。

 最終防御地点の塁壁がこんなになだらかなはずはないと思いました。

*小笠原勢は、家臣の赤沢氏の持ち城で、山城である塩崎城へ移動することとしました。

 土豪たちの大軍は、横山城を出た小笠原勢に襲い掛かりました。


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 元は黒で線を描いたラインに本郭の塁壁があったのが、廃城の際に崩されたのではないかと感じました。

*大軍の追撃を受けた小笠原勢は分断されてしまいました。

 約1500名は、大塔の古城に逃げ込みました。


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 一方、北側はなだらかな傾斜に沿って石積みがされています。

 ということは? なだらかな斜面は崩されたのではなく、往時からなだらかであったということでしょうか? 謎ですね・・・

*小笠原長秀と約750名は、どうにか、塩崎城に逃げ込むことができました。

 残り、約1750名は、土豪連合に打ち取られたか、四散してしまったものと思われます。


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 本郭から、二郭を見下ろしました。

 「塩崎城第3話・守護逃走」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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