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萩多和城(2) ~ 南朝蜂起伝説

 萩多和城の最終話です。

IMG_8669.jpg
 「D」と「C」の間には緩斜面が続いています。

萩多和城
*さて、萩田和城は、南北朝期、徳山城、護応土城とともに南朝勢が蜂起した城であるとされています。

IMG_8671.jpg
 緩斜面の北側には「腰郭」が付属しています。

*北朝についた今川範宗は南朝派の制圧を命じました。

IMG_8672.jpg
 「C」から本郭への通路が、本郭からの頭上攻撃に延々とさらされるように工夫されています。

*援軍として参加した伊達景宗が、萩多和城を落城させ、ついで護応土城、徳山城が陥落、南朝の蜂起は鎮圧されました。

IMG_8673.jpg
 先程から、アングルを左にずらしました。

*「静岡県の城跡」は、ここを萩多和城と紹介しながらも、ここが萩多和城ではない可能性、そして、城跡ですらない可能性も含めて、今後の検討が待たれると記されています。

IMG_8675.jpg
 本郭に入りました。

 林で良く見えないのですが、背後に「B」があり、物見役割を果たしています。

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 「B」です。あまり広くないし、人の手も加えられていない感じです。

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 「B」から、本郭を見下ろすとこんな感じです。

IMG_8680.jpg
 「A」のビークです。

*「A」から「B」にかけての尾根筋に堀切が無いことから、「城跡ではない可能性」が語られているのだと思います。

 一方、同時期に使用された護応土城も尾根筋に堀切はありませんので、当時の、この地方の築城様式であると理解した方がよさそうです。

IMG_8683.jpg
 「A」の西側に降る尾根は、削られて長土橋状になっています。

IMG_8655_2014112714413117b.jpg
 西側からの遠景でお別れです。

*訪問する際は必ず、地主さんの許可を頂きましょう。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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