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熊倉城(2) ~ 叛鬼長尾景春籠城

 熊倉城の第二話です。

*熊倉城には、室町期長尾景春が籠城したとされます。
 (秩父には他にも長尾景春が籠ったとされる城があります。日尾城、塩沢城です。)

IMG_8367.jpg
 「B」にたどりつきました。

 「C」との間を、「堀2」で分断しています。

*長尾景春といっても御存じの無い方も多いことでしょう。

 しかし、彼は関東に下剋上の嵐を吹き荒れさせ、関東管領家を衰退させた・・・

 関東戦国初期の重要人物なのです。

熊倉城南
*長尾景春は無名ですが、有名人物とのカラミが多いです。

 名将太田道灌と抗争を繰り広げ、北条早雲並びに、上杉謙信の父長尾為景と連携し、関東管領上杉顕定を死に至らしめています。

 そこらへんの流れは、「鉢形城」のレポートで触れていますので、興味のある方はご覧ください。

IMG_8368.jpg
 「堀2」は、中央部が削り残してあり「土橋」となっています。

*1476年、長尾景春は、鉢形城に挙兵し、関東管領上杉顕定へ叛旗を翻しました。

 上杉顕定の統治に不満を抱く、豪族がこれに同調しました。

IMG_8369.jpg
 堀2の両側は、竪掘となって、斜面を下っています。これは南西方向。

 攻城兵の迂回を阻止するための普請ですね。

*長尾景春に同調した豪族たちは相互の連携に乏しかったようで・・・

 管領側の名将「太田道灌」に各個撃破、または、調略されてしまいました。

IMG_8370.jpg
 これは南東方向です。

*孤立し窮した長尾景春は、鉢形城を捨て秩父に引きました。

 1480年2月のことであるとされています。

 当時、関東管領は、古河公方と敵対関係にありました。

 景春が秩父で持ちこたえているうちに、古河公方が、管領家へ攻勢をかければ、情勢が変わるのではと見ていたのではないかと思われます。

IMG_8371.jpg
 「C」の背後はなだらかな斜面となっています。

*秩父は山間部ですので、ゲリラ戦に適した場所です。

 ゲリラ戦に悩まされることを、管領は恐れ、秩父へ大軍を派遣することは無いだろうとの読みもあったのではないかと思われます。

IMG_8374.jpg
 二郭に、はいりました。

 削平が甘く、急造の城であったことがうかがえます。

*長尾景春は、秩父での持久戦の拠点として、この熊倉城の普請を始めたと思われます。

 まず、背後の尾根を堀切り、次に山頂を削平し、土塁を盛る・・・

IMG_8375.jpg
 二郭の「D」の部分です。やや、張り出したかっこうになっています。

*長尾景春のもとに、驚きの情報がもたらされたのは、熊倉城の普請を始めて間もなくのことと思われます。

 「熊倉城第3話・太田道灌攻囲」へ続く・・・

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