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蛭ヶ島と山木兼隆館跡 ~ 源頼朝挙兵

 みなさん、こんにちわ。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成26年10月3日、お城仲間のMさんと「蛭ヶ島」&「平兼隆館跡」に行ってきました。

韮山城アク
 静岡県伊豆の国市韮山にあります。

IMG_8100.jpg
*平安時代末期の1160年、京都にて権力争い「平治の乱」が勃発しました。

 源氏の棟梁「源義朝」は、平清盛に敗れ、殺害されました。

 源義朝の子「源頼朝」は捕縛されました。


IMG_8094.jpg
*平清盛は、源頼朝を死罪にはせず、伊豆のこの地へ流配したということです。

 源頼朝はこの時13歳であったとされています。


 その後、源頼朝は凛々しい青年へと成長しました。

IMG_8147.jpg
 この先の高地一帯が平兼隆館の跡ですと記され、東側に矢印が伸びています。

*さて、源頼朝が流配された蛭ヶ島の東側に、山木兼隆(やまきかねたか)が居を構えていました。

 現地表示は平兼隆ですね。平氏系であることを強調したかったのでしょうか。

 山木兼隆は、伊豆の目代として、この地で権勢をふるっていました。


IMG_8149.jpg
 東側の高地です。このあたりが館跡でしょうか?

*伝説によりますと・・・

 この地の土豪北条時政は、娘の政子を、山木兼隆へ嫁がせようとしていました。

 しかし、政子は、源頼朝と恋に落ちてしまいました。

 子が親に従うのが当然の時代、政子は父時政に逆らい頼朝との愛を貫くことをゆずらなかったのです。


 時政の面子は丸つぶれ・・・ 

 権力者の山木兼隆の不興を買い、このままではどのような仕打ちを受けるかわかりません。


 そんな時、以仁王から、頼朝のもとへ、平家討伐の詔が届きました。

 時政は、娘の政子のため、婿の頼朝のため、共に平家の山木兼隆討ちはたすこととしました。


IMG_8095.jpg
 蛭ヶ島から、山木兼隆館方面を撮影しました。

 中間に山(韮山城)があり、頼朝たちの動きは、視認できないようになっていますね。

*計画は深夜に決行されました。

 奇襲が成功し、源頼朝による打倒平家の烽火が上がったのです。

IMG_8096.jpg
*その後、源頼朝が鎌倉幕府を開き、天下を治めたことは、誰でも知っていることですね。

 北条政子と源頼朝の愛が、歴史を切り開いた・・・

 あくまでも伝説、歴史ロマンということで・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡などの部屋」
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