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千軒山城(5) ~ うねる石塁

 千軒山城の最終話です。

IMG_8268.jpg
 石塁です。これは本流から枝分かれした部分ですね。

IMG_8278.jpg
 枝分かれした部分の先の方です。

IMG_8269.jpg
 これは本流の方です。

IMG_8270.jpg
 本流の方にはうねりが加えられています。横矢思想ですね。

IMG_8271.jpg
 本流の石塁は、斜面を登っています。防御の意味と・・・

 当主の居住スペースと、その他の人たちの居住スペースを分ける象徴的な意味があったのでしょうか?

千軒山城
 群馬県の城郭研究の第一人者山崎一氏は、石塁の上の空間について、居館跡である可能性があると指摘しています。

IMG_8273.jpg
 石塁の背後には、緩いながらも塁壁っぽい地形があります。

 登っていくと・・・

IMG_8272.jpg
 美しく整地された空間があります。

 ここが千軒山城主の居館跡でしょうか?

IMG_8320.jpg
 南の黒田集落からの、千軒山城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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Comment
Re: ありがとうございます
樋口山城守与六様

 お返事ありがとうございます。

 また、嬉しいお琴我を頂戴し、感激です。

 リンクは歓迎です。よろしくお願いします。

 お城は地域地域により、特徴的な構造があり、飽きないですね。

 それでは、良きお城ライフをお楽しみください!

> ありがとうございます<m(__)m>
>
> この周辺も、まだ行けていない城が有りますので参考にしまた行こうと思っています。
>
> それから、ブロブにリンクを張っても良いでしょうか?
ありがとうございます
ありがとうございます<m(__)m>

この周辺も、まだ行けていない城が有りますので参考にしまた行こうと思っています。

それから、ブロブにリンクを張っても良いでしょうか?


Re: 石塁
樋口山城守与六様 ご来訪ありがとうございます。

 千軒山城登城、お疲れ様です。
 イメージ図を参考にしてくださったとのこと、感激です。
 下手なりに、時間をかけて描いていますので・・・
 Bの先の段々は、しっかり段々していた記憶があります。
 一時期、耕作に使用されていたんだろうな~と感じながら
歩いていたと思います。
 城主の動員兵力を考えると、広大なあの段々すべてを防御
の範囲と想定していたとは考えにくいですね。
 歴史素人の感想としては、城の防御のための石垣ではな
く、後世の耕作のためのものではなかったかと・・・
 こんなお返事しかできず、恐縮です。
石塁
こんにちは
先日、千軒山城に行った際にイメ-ジ図を参考に行かせていただきました。
居館跡の石塁もそうですが、居館部のBの先の多段郭の石塁は植林の為の近年の物になるのでしょうか?
綺麗に区画されているように思えます、また先端部はかなり立派な石垣ですが、どうなんでしょうか?
Re: 謎の遺構ですね。
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 千軒山のスグ東には万場という地名があります。
 妄想好きな私は・・・

 千軒山=家がイッパイ建っている山
 万場=平地が広い場所 ・・・ではないかな?と思っています。

 武田のこの地への侵攻は、ほぼ小幡氏独力で行い、地衆は抵抗せず恭順しています。

 事前に懐柔していたとみるべきでしょう。

 同時期に、神流川下流の御嶽城を落とし、佐久の依田信蕃を城代に据えています。

 依田さんがどのルートで御嶽城へ至ったのか興味が持てますね。

 この地を制圧した後の、現秩父への「信玄焼き」については、手元に有力な資料が無く・・・

 なんともですね・・・
謎の遺構ですね。
こんにちは、判断に苦しむ遺構のようですね、千軒山という名称もどういった由来なのでしょうか?
武田軍団は十国峠から関東に攻め込んだ事があるのか?佐久から 二~三日の行程でしょうか? 宿営地は?勉強不足で疑問が色々浮かびます。
機会が有れば訪れたい物件です(神ヶ原はパスです!)十国峠も越えてみたいですね~
それでは、今後も楽しませて頂きます、失礼いたします。
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