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千軒山城(1) ~ 山腹の耕作地

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年10月19日、お城仲間のMさんと、千軒山城に行って参りました。

千軒山城アク
 群馬県多野郡神流町塩沢、黒田城の尾根続きにあります。

*室町時代、この地は秩父領下山郷と呼ばれていました。

 関東管領重臣藤田氏の影響下にあったと思われます。

IMG_8220.jpg
 黒田城の西端にこの標識があります。

 千軒山までは、50分と記されています。実際、50分かかりました。

*藤田氏が北条氏に降ると、北条氏の支配下に組み入れられたと思われます。

 その後、上杉謙信が関東を席巻すると、上杉謙信の傘下に入りました。

IMG_8227.jpg
 千軒山城への登り道の周辺にはこの様な、平場が多く存在しています。

 昔は、山腹の日当たりのよい場所を切り開いて、畑としたのでしょう。

 また、畑の脇には民家もあったことでしょう。

*謙信が関東を去ると、秩父衆は藤田氏の仲介で、北条の傘下に復帰しましたが、下山郷の豪族たちの去就は不明です。

 その頃、北西の南牧村の南牧四人衆は武田信玄の傘下に加わっています。

 下山郷の土豪たちは、北条と武田の間で揺れ動いていたのかもしれませんね。

IMG_8224.jpg
 これも平場の写真です。

 他にも多くの平場があり写真も撮りましたが、城郭遺構ではないので、掲載しないでおきます。

 千軒山城は、今でこそ「人里離れた山頂に位置する城」ですが、往時は「集落の裏山城」といった感じだったのかもしれません

IMG_8236.jpg
 登山道は良く整備されています。

 この登山道を走り抜ける大会が開催されているようですね。

IMG_8239.jpg
 40分程登ったところで、下の図右側の「尾根」に出ます。

千軒山城
 山の中腹に多数の平場が存在し、更に、山頂から少し下った場所に広大な平場が存在するのが、この千軒山城の特徴です。

IMG_8243.jpg
 「尾根」から見た「A」の平場です。

 家臣の家と畑があったのでしょうか?

IMG_8242.jpg
 「尾根」の先には巨大な「岩」があり、道をふさいでいます。
 
 敵が攻めてきたら、この岩の上に弓兵を配置し、応戦することも考えられていたことでしょう。

 「千軒山城第2話・堀切と腰郭の連結」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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