HOME   »  中世城郭  »  韮山城(7) ~ 10倍の攻囲軍

韮山城(7) ~ 10倍の攻囲軍

 韮山城の最終話です。

IMG_8026.jpg
 南側から本丸を撮影しました。

*天下統一を目の前にした豊臣秀吉は、北条氏直に対して「上洛し臣下の礼をとれ」と命じます。

 韮山城城主北条氏規は、北条家の外交官として、様々な大名と交渉を持ち、充分な情報網もあったので、上洛推進派であったと言われています。

韮山城南
*しかし、北条家の内部では徹底抗戦派が多数派を占めました。

 豊臣秀吉は北条討伐の軍を起こしました。

 1590年のことです。

IMG_8015.jpg
 本丸に入りました。

 向こうに見える山が「天ヶ岳砦」です。

*豊臣勢が韮山城を攻囲し始めたのは、3月28日であったとされています。

 攻城側は、織田信雄、蜂須賀家政、福島正則、蒲生氏郷、森忠政ら4万。

 対する韮山城の兵力は4千弱であったそうです。

IMG_8018.jpg
 本丸から硝煙蔵方向を撮影しました。

*豊臣勢は、各方面で攻勢をかけましたが、守兵はそれらを撥ね退け続けたようです。

 「関東古戦録」には、豊臣軍の戦死者について「蒲生氏郷の手の者430余人、福島正則の手の者680余人」と記されています。

IMG_8017.jpg
*豊臣勢は我攻めを控え、周囲に付城(陣城)を構築しました。

 その陣城の配置が解説版の左側に記載されています。

 右側に記載されている天ヶ岳砦は、韮山城の出城の複合体です。

 6月に入るとこの天ヶ岳砦が落城しました。

 秀吉の書状に「韮山の儀、端城五つこれを乗っ取り候」と記されています。

 戦後、北条配下だった江川氏が伊豆の代官に取り立てられていますので、江川氏が寝返り、豊臣勢を引き入れたのだと推察されます。

IMG_8988.jpg
 天ヶ岳砦から見下ろした韮山城です。

 城内が丸見えです。

*さて、豊臣秀吉とともに小田原攻めに加わっていた徳川家康のもとにも、韮山城風前のトモシビの報は届きました。

 徳川家康がかつて、今川家のもとで人質生活をしていた際、北条氏規も同様に今川家で人質生活をしていました。

 人質友達としての情もあったのでしょうか?

 徳川家康は家臣の朝比奈氏を、北条氏規のもとへつかわし、開城を勧めさせました。

 6月7日のことであるとされています。

IMG_9068.jpg
 天ヶ岳砦を奪取された後、韮山城の背後を守るのは、この心もとない堀切1本となってしまいました。

*やがて、北条方の城は次々と落ち、残るは小田原城、忍城、韮山城だけとなってしまいました。

 6月24日、北条氏規は開城を決意しました。

 10倍の兵を相手にした3カ月の戦いに終止符が打たれました。

 やがて、小田原城も開城し、北条本家は没落の憂き目をみましたが、北条氏規は狭山藩主として取り立てられ、藩は幕末まで存続したということです。

IMG_8095.jpg
 西からの、韮山城の遠景でお別れです。
 
 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
スポンサーサイト
Comment
Re: 惣構えはあったのか?
Butch様 ご来訪ありがとうございます。

 おっしゃる通り、古図面では高校のまわりに幅の広い水堀が記されています。
 豊臣勢来襲時、韮山の籠城兵は四千ということですので、高校が主な駐屯地だったのだと思われます。
 現在、遺構が確認できませんので、今回のレポートでは取りあつかいませんでした。
 航空写真の堀の件ですが・・・
 お城仲間のMさんのお話ですと、豊臣勢による構築の可能性も指摘されているということです。

 天ヶ岳城塞群は、刈り払われ、急な塁壁にはロープが用意され、踏査しやすいように整備されつつあります。
 今後も整備が続けられるということですので、本当に楽しみですね。
惣構えはあったのか?
お邪魔します、韮山城のレポート楽しく拝見しています。
多くの方が感じると思いますが・・・初めて本城域を訪れた際は曲輪数も少なく数百も籠れるか?と思う程狭苦しく「これが北条の最前線の城?」が感想でした。 この部分だけでは半日ともたないですよね!

古絵図だと現中・高校を囲むように水堀が描かれていますが西側は二重で突出した部分も描かれていますね、おそらく北条の最先端の技術を駆使した構造だったのでしょうね、堀沿いの塁線が強固な防衛ラインだったのでしょうね、ただ4千余りの兵力での籠城とすると曲輪内には建築物もあるわけですし、息苦しくなる広さですよね、そこで古文書にある「大構え」ですが1951年のアメリカ軍が撮影した航空写真には惣構え状に見えるラインがあるのですよね~
以前痕跡を探したのですが現在では様相が変わり発見できませんでした、近年韮山城の遺構研究が盛んに行われているようなので天正18年の攻防戦の詳細が解明される事を期待しています。
それではまたお邪魔します、失礼いたします。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード