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小泉城(4) ~ 武田勝頼来襲

 小泉城の最終話です。

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 本丸東側の堀です。

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 本丸北西の角です。

*小田原北条氏が台頭すると・・・

 扇谷上杉氏は滅亡。山内上杉氏は越後へ逃亡。古河公方は北条氏の傀儡に・・・

 関東大混乱の中、富岡氏は次第に独自路線を歩むようになっていったようです。


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 本丸北側の堀です。

*上杉謙信が、越後より関東に侵入し、勢力を拡大すると、富岡氏は謙信の陣営に属しました。

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 本丸南西方向の堀です。

*「日本城郭体系」によると1562年、富岡重朝は謙信の館林城攻めに参加し、館林落城に寄与しました。

小泉城

*謙信はこの時、館林城へ関白近衛前久を入れています。

 謙信は自らが管領となり、関白を公方に据えようとしたとされています。


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 本丸南側の堀です。

*その後、北条氏康は武田信玄を関東へ引き込み、共同して、謙信の勢力を駆逐していきます。

 1573年に富岡氏は、北条氏の傘下へ入り、身の保全を図りました。


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 本丸に入って、東側の小口を振り返りました。

*「日本城郭体系」によりますと、1580年、北条と手切れとなった武田勝頼が佐竹・宇都宮連合と連携し、小泉城へ攻めよせました。

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 南西の土塁上から、本丸を見下ろしました。

*富岡氏は城の守りを堅固に固めていた為、勝頼は城下へ放火して、撤退したということです。

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 先ほどの写真を撮影したのと同じ土塁上から南側を見下ろしました。

 土塁に折りがつけられているのがわかります。

*豊臣秀吉による小田原征伐のさい、富岡氏は北条氏に味方したため、北条氏と共に没落してしまいました

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 城址碑の写真でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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Comment
Re: お早うございます。
butch様 ご来訪ありがとうございます。
 小泉城は駅も近いのによくあれだけ残ってくれましたね。あの石達は少々マイナスオーラがあったのでスルーさせて頂きました。
 お仕事お忙しいようで大変ですね。城塞都市遺跡ですか? スゴイですね!
 確かに日本の行き過ぎた事故防止柵は景観を損ねますね。

 私は貧乏暇なしで、昨日も今日も、国内での仕事です。
 昨日はフルでしたが、今日は3時に終わったので、新宿のメタルイベントへ参加すべく移動中です。
 楽しんできたいと思います。
 
 盛岡城のレポートは、頑張ってみましたので、また、ご感想をいただければ幸いです。


>
> それでは、盛岡城(現場で模擬戦闘したくなりました)のレポート楽しみです、失礼いたします。
お早うございます。
山城シーズンが もうすぐですね!
小泉城は廃城後よく開発もされず中心部が残されたものだと思いました、平野部だし・・・かって寺社でもあったのか? あの石墓は?

出張でサンディエゴに行ってました、そして メキシコ カンクンのトゥルム遺跡に行きました! マヤ後期、カリブ海の断崖を背にし三方を城壁で囲んだ城塞都市遺跡です、マヤと言うとジャングルのイメージですがトゥルムは海に面し実に開放的で海洋国家の一面もあったのだな~と思いました、観光で大人気の場所ですが変にロープを張ったり いらん復元、いらん説明板も無く自由に楽しめました、"事故っても自分達の責任で" こういうの大好きです(笑)
母国 琉球の近年のイカれたグスク復元?整備国家事業を 思うと「あんな事してしまって大丈夫なの?」と不安に思うのですが・・・

それでは、盛岡城(現場で模擬戦闘したくなりました)のレポート楽しみです、失礼いたします。
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